「体験主義」への問いかけ。泥んこ遊びって本当に必要?

近年、子どもたちの間に「体験格差」が広がっていると指摘されています。家庭環境や経済状況によって、特に、夏休みなどの長期休暇中に子どもが得られる体験に差が生まれてしまうことは、確かに大きな課題です。
一方で、親が「体験」に過剰なプレッシャーを感じてしまう現実もあるのではないでしょうか。私自身、子どもが幼い頃には「外遊びをさせなければいけない」という、ある種の強迫観念にとらわれていた時期がありました。
もちろん、外遊びが子どもの発達に良い影響を与えることは、多くの研究で示されています。想像力や免疫力を高める効果があるという報告もあります。
そのため、幼稚園や私立のプリスクールはこぞって「泥んこ遊び」「水遊び」などを、売りとして保護者にアピールをしますし、実際、親はそれを価値あるものとして、心惹かれるのです。振り返ると、私自身も少し行きすぎたこだわりを持っていたのかもしれません。
こうして「体験の価値」が親の間で強く認識されるにつれ、それをどう実現するか、どこに投資するかというプレッシャーや競争意識が煽(あお)られているようにも思います。
それ以外にも、うちの子どもはふたりとも小学校受験を経験していているんですが、そのためにとにかく幅広い体験をさせなきゃ、その思い出を絵に残さなきゃと追い込まれたこともありました。
けれども本当に大切なのは、その体験が「子ども自身に合っているもの」だったのかどうか。親の理想や思い込みとしての「体験」を押し付けてはいなかったか。改めて、自分に問いかける必要があると感じています。

近年、体験の価値を考えるうえで、SNSの存在は無視できません。SNSが普及したことで、体験そのものへの意識がより強くなったように感じます。その理由は大きくふたつあります。
ひとつ目は、SNSに投稿するために体験を記録したいという「承認欲求」です。自分が体験したことをSNSで見せたい、見せるために体験する。この面は、SNSのマイナスな面として語られることもありますが、体験を生む原動力になっているのであれば、一概に否定できるものではありません。
もうひとつは、SNSで何でも見られる時代だからこそ、逆に「実際に体験することの価値」が高まっているという点です。五感で感じることの価値を知っている私たち親世代は、SNSでどれほど美しい映像や音を見聞きしても、その場で味わう匂いや音、光、味、触感にはかなわないと実感しています。だからこそ、実体験には、揺るがない価値があるのだと思います。
SNSに上がるのは、きれいに切り取られた一瞬の場面が多いもの。だけど、本当に価値のある体験って、意外とSNSには映らないところにあるのかもしれません。
息子が海から上がって潮と砂まみれになりながらばーっと近づいてくるあの感じの瞬間とか、体からポタポタと水が垂れて乾かしていたタオルや服が濡れそうになる瞬間とか、バーベキューで焼き上がった魚をそのまま落っことして大慌てする瞬間とか……(笑)。
SNSの投稿だけではとても表現できないような場面がたくさんありました。そうした、ちょっと困ったけれどかけがえのない瞬間こそ、子どもとの大切なふれあいとして残る。そういう体験にこそ、本当の価値があるのかもしれません。