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『あんぱん』に脚本家が登場、裏方に自我は必要か? 意外と多い“本人モデル”の朝ドラ、賛否の違いはどこに

脚本家自身が主人公でも、批判されないパターン

ここで、朝ドラ以外も含め、他の脚本家自身をモデルにした作品や役柄を見てみましょう。 例えば、『北の国から』(フジテレビ系)などで知られる倉本聰氏は、『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)などの作品で、自身をモデルにしたと思われる脚本家を主役にしています。
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映画『百円の恋』朝ドラ『ブギウギ』の足立紳氏は『こんばんは朝山家です』(ABC系)『それでも俺は、妻としたい』(テレビ大阪)などで自身や家族をモデルにしており、私小説風のテイストがある意味作風となっています。 作品の内容への評価はさておき、それらの作品で「脚本家自身の自己主張ガー」「自己顕示欲ガー」などという批判は目立ちません。これらの批判されない作品とされる作品との違いは、まず、美化しているように見えるか、否かです。 倉本氏、足立氏が描く自身をモデルにした役柄はどこか情けなく、人間的にどこか尊敬できない部分を露わに描いているのに対して、朝ドラに出た脚本家モデルの役は共感や同情を呼ぶ親しみやすいキャラクター。その先は、主人公が成功を掴むまでの道のりを描いています。 多くの人に注目される朝ドラだからこそ、作家は自身が投影された役柄を印象よく描きたいのは当然と言えるでしょう。

「鼻につく」感じが視聴者の反感を生む

ただ、一線級の役者・監督・制作など多くのスタッフの力を使って、神聖な朝ドラを個人の自己顕示欲を発散の場にしたと感じて反感を持つ視聴者もいるでしょう。 その「鼻につく」感じが批判の種になっているのかもしれません。
(画像:「こんばんは、朝山家です。」テレビ朝日公式サイトより)

(画像:「こんばんは、朝山家です。」テレビ朝日公式サイトより)

それに加え、事実は小説より奇なりというように、創作されたストーリーにポンと真実を入れ込むと、流れに沿っていなかったり、理解しがたい状況が作られることがあります。 北川氏の『半分、青い。』や大石氏の『オードリー』の設定がその例です。
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『あんぱん』の脚本家登場があたたかく見守られた理由
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