
※イメージです(以下、同じ)
息子が2歳になり、イヤイヤ期がピークを迎えたころ、真里さんは限界を迎えます。
「朝からご飯はひっくり返す、おもちゃを片付けない、着替えもイヤ、お風呂もイヤ。何をしても“イヤ”の一点張り。外出すればスーパーの床に寝転がって泣き叫び、周囲の視線が突き刺さる。さらに田舎なので『〇〇さんのところの息子さん、また泣いてる』と後ろ指をさされることもありました。抱っこしても蹴られて、ベビーカーも拒否。そんなことが毎日のように繰り返されていました」
さらに近所の人が義両親にその様子を逐一報告していたのです。その度に義母が家に来て、『母親なんだから、もう少しちゃんと面倒を見れないの?』『そんな子を育てるなんて、うちの家系にはいなかった』と嫌味を言われることもしょっちゅうだったといいます。
「夫の家は地元でも代々続く家業として知られているので有名人。そのため、『〇〇家の嫁なのにあの子のしつけはどうなってるの?』『母親のくせに何もできない』と陰で言われることもあり、外を歩くだけで誰かに見られているような息苦しさがありました」
ある日、どうしようもなくなった真里さんは黙って子どもを義実家に預けて東京へ向かいました。
「ほんの数時間でしたが、友達と会って昔のように何でも話せて幸せだった。そのとき、“母親”でも“嫁”でもない、“ただの自分”に戻れた気がしたんです』
友人の近況を聞くうちに仕事に打ち込んでいた頃の自分を思い出したという真里さん。「もう一度、みんなのように仕事して輝きたい」そう思う一方で、現実を考えると難しいものでした。
「東京に日帰りで行っただけで嫌味を散々言われたので、子どもを置いて夫の地元を出るなんて無理でした。夫も義実家も許してくれない状況で、どこにも自分の居場所がない……。それでも、もう一度“生きている実感”を取り戻したいという思いは消えませんでした。このまま我慢を続けていたら、きっと自分が壊れてしまう。誰かの妻でも、誰かの母でもなく、“私”として生きてみたいと、考えるようになったのです」
そこで、ふと頭に浮かんだのが、昔から憧れていた海外生活でした。知らない土地で、誰にも知られず、ゼロから言葉を学び、自分を見つめ直す。そんな時間を過ごしてみたい…その思いが日に日に強くなっていったといいます。
そして彼女は決断します。「もう一度、自分を取り戻したい」と、義実家を飛び出し子どもを東京の両親に預け、単身でオーストラリアへの語学留学を申し込みます。そして、そのまま日本には帰りませんでした。