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44歳・元テレ朝アナ、ハワイ移住して突如“主夫のいる暮らし”に。心境をつづる「なんという贅沢!」

料理は日々のプロジェクト。家事の見えない苦労とは?

 あのドラマの話ではありませんが、家事や料理のプロセスを知らない人が、つい口を出してしまう。これはどの家庭でも起こり得ることだと思います。  家事、とくに料理となると、やったことがない人は、包丁でトントンと刻むあの瞬間だけを料理だと思いがちです。でも実際にやっている側からすると、料理はキッチンに立つ何時間も前から始まっている。  朝、冷蔵庫を開けて、在庫を把握し、子どもたちの給食メニューをチェック。家族の好みや栄養バランスなども考慮して、「今日は何を作るか」を決める。  メニューの大枠が決まったら足りない食材を洗い出し、買い物へ。この買い物が結構な肉体労働で、重い荷物を持って帰ってきて、それでやっと、料理のスタートラインに立つんです。  さらに、「残ったアスパラをどう使うか」「開けてしまった豆乳をどう使い切るか」など次の日、その次の日のメニューまで想像を膨らませていく。料理は今日だけで完結しない、過去から未来へとつなぐ「数珠つなぎ」のような壮大なプロジェクトマネジメントなんです。  それを知らない料理をしたことない人ほど文句を言いがちで(笑)、ほんの少しでも賞味期限が切れていると絶対に食べないとか、同じ食材は続けて食べたくないとか言えるのは、この数珠つなぎの家事プロセス知らないからこそ出てくる言葉。やっている側としては、「もうそんなのは主婦の感覚でやっていますから」と言いたくなる瞬間もあります。  そして、よく語られる料理の上手い下手という話。それって、ずっと後の話なんです。  大事なのはまずやるか、やらないか。週末の趣味で作る料理ではなく、家族を生かすための「日々の料理」をやったことがあるかないか。そのずっと先に上手い下手があるんですよね。料理という家事はそれほど、家族の生活の根底にあり、必須のものだと思っています。

働く側の視点から見えた“家事を担う人”の社会的意義

大木優紀さん いわゆる家事をする側を担っていたからこそ、働く側の立場として、家で料理を作ってくれる人つまり「専業主婦(夫)」という存在がいかにありがたい存在なのかというのを、ハワイに来て改めて痛感しました。  もちろん、「専業主婦」という生き方が減っていくことは、女性の自立とか、日本経済全体の活性化という面ではとてもポジティブな進化だと思っています。 「結婚=家庭に入るべき」という古い価値観から解放されたということだけでなく、自分がどうしていきたいかで選んでいける世の中で、それがインフラとして整っている。女性に限らず、「自分の人生を選べる社会」になってきたのは、大きな進化だと思っています。  ただ、その一方で、かつて社会に根づいていた「専業主婦」という仕組みは、社会を支える大きな価値を持っていたのだとも感じるんです。  だからこそ、“働いていないから……”と引け目を感じる必要なんて本当にありません。家を整え、家族の生活をまわすというのは、立派で価値ある「仕事」です。特に子どもが小さいうちは、その価値はよりいっそう大きいものになります。  そして、これまで、夕方になると子ども達それぞれの帰宅時間と習い事などへの送迎をしなければならず、100%仕事に集中することができない状態でしたが、夫が家にいてくれることで、夕方までたっぷりと働くことができるのです! なんという贅沢!!  さらに、アメリカでは13歳未満の子どもをひとりで留守番させてはいけないというルールがあり、学校も基本的には送り迎えが必要。そうした環境の中で、夫が“家の土台を支える役割”を担ってくれていることが、どれほど大きな支えになっているかを、私は日々実感しています。
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「無償の愛」で共働き家庭を支える「おばあちゃん」の存在
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