1ツイートで炎上・解雇に…ネットリンチを楽しむ“善良でヒマな皆さん”
3年ほど前。筆者が女子SPA!で椎名林檎の「NIPPON」という曲について記事を書いたところ、これがいわゆる“炎上”をしてしまったのです。
ご存知ない方のために説明すると、“あんな上滑りしたまがいものの言葉で『ニッポン万歳!』だの『死がどうした』だのと歌われて一体何が嬉しいのか。あれではかえって日本国と日本国民に対する侮辱ではないのか”という内容に、けっこうな数の人が怒ってしまったのです。
もっとも、氣志團の「日本人」のように、あえて陳腐な語句をちりばめることで日本会議的な人たちを揶揄していたのだとしたら、これはもう林檎さんがお見事なのですが、実際のところどうだったんでしょうね?
それはともかく、筆者は小物中の小物なのでボヤ程度で済んだわけですが、それでもいざ当事者になってみると、その燃え移るスピードに驚きました。“左翼”だとか“在日”だとか“頭おかしい”といった励ましの数々。しかしそれらをひとつひとつ見ていくと、ある共通点に気付いたのです。
それは、こうした攻撃が悪意ではなく、むしろ正義感によって支えられているのではないかということ。ほんのちょっとでも公序良俗を乱す不純物を見つけ出しては、そんなものは許せない、晒してやるといった具合で一斉にツイートし出す。
特筆すべきところなど何もない筆者の貧相なプロフィールを検索しては、“こんなカスの言うことだからシカトしてよし”と溜飲を下げる。
いずれにせよ、一般市民の良心や善意から、かつての公開羞恥刑のような出来事が復活している点で、ネットの炎上は薄気味悪いなと感じたのです。
そんな現代に特有の現象を解き明かしたのが、『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』(著:ジョン・ロンソン 訳:夏目大 光文社新書刊)という本。かつてはネットを利用して不正を告発できるようになった時代を歓迎していたと語る著者のロンソンですが、本書での取材を通じ、この新たな“鞭打ち”に危うさを覚え始めたのだといいます。
そこで一夜にして名声を失った人気ノンフィクション作家の例を見てみましょう。
ジョナ・レーラーはベストセラーとなった『イマジン:創造性のはたらき』の中で、ちょっとしたミスを犯してしまいます。ボブ・ディランの発言を自著にとって都合よく“捏造”して載せてしまったのです。
それを目にしたのが、売れない物書きのマイケル・モイニハン。熱心なディランファンだった彼はレーラーの著書で引用された発言に疑問を抱き、雑誌で暴露記事を発表したのです。
モイニハンの暴露記事が出たその日に、レーラーはニューヨーカー誌のスタッフライターを辞めざるを得なくなり、さらに出版社は『イマジン:創造性のはたらき』を全て回収、廃棄する決定を下した。モイニハンの執拗な追求が、レーラーを破滅へと追い込んだのです。
しかし、本当の地獄はそこからでした。レーラーにある財団から講演のオファーがあり、そこで一連の騒動について釈明する機会がやってきたのです。ただし檀上にはスクリーンがあり、彼の発言に対してリアルタイムでツイッターの投稿が表示されるようにセッティングされていたのだそう。俗にいう、“実況”ですね。
冒頭、ディランの発言を捏造したことを認め、さらに自身のブログ上で盗用を行っていたことも明かし悔い改めるレーラーの姿に、<おお、ジョナ・レーラーが自分の間違いを素直に認めているぞ。>(p.81)と納得するつぶやきが投稿されたまではよかった。
ところが、謝罪を切り上げ、新たに取り組んでいるFBIの法医学研究所の話を始めると、ここから“ツイッター爆撃”による公衆の面前での辱めが始まったのです。
<許そうと思う気持ちはまるでないし、今後、もし著作が出ても読もうという気には一切なれない。>(p.85)
<ジョナ・レーラーの講演は、「馬鹿者の自己欺瞞を知る」とでもした方がいい。>(p.86)
これらのツイートが、新たなスタートを切ろうと熱弁をふるうレーラーの背後でリアルタイムに表示されつづける。その光景を、<「大勢の人の言葉が剣となってレーラーを刺すのを私も見ていました」>(p.93)と振り返ったモイニハン。ジョナ・レーラーの心を折るには十分すぎるほどの出来事でした。