春には「桜が開花」のニュースを聞くだけで、ふたり(二匹)の不在を感じずにいられませんでした。
「ほら、河津桜が咲いたよ」
「ソメイヨシノのつぼみが膨らんだね」
「八重桜がもうすぐ満開だよ」
そんな話をしながらケフィと歩いた河川敷の桜並木。ケフィは目をぱちぱちさせながら桜の花を見上げたり、幹の匂いをかいで、春の訪れを感じていました。でももう、ケフィと桜を見ることはありません。

写真はイメージです
今年は河川敷に足を運ぶこともしませんでした。それでも桜の便りを聞くだけで、どこかで桜の花を見かけるだけで、ケフィの姿が浮かび、でんすけのことも思い出しはめそめそしていました。
きっと梅雨が明ければ、海でボールを「持ってこい」するケフィを、秋になれば紅葉のなかをトレッキングするケフィを、冬になれば雪山を欠けるトレッキングするケフィを思い出すことでしょう。そのたびごとに、ふたりがいた頃を懐かしんで、また涙することでしょう。
でも、「それでいいのだ」と開き直ることにしました。だってどちらも十数年という長い年月を共に過ごし、人生を分かち合ってきた大切な存在なのです。かんたんに「思い出の箱」に入れてしまえるわけがありません。
<TEXT/木附千晶>
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【木附千晶プロフィール】
臨床心理士。IFF CIAP相談室セラピスト。子どもの権利条約日本(CRC日本)『子どもの権利モニター』編集長。共著書に『子どもの力を伸ばす 子どもの権利条約ハンドブック』など、著書に『
迷子のミーちゃん 地域猫と商店街再生のものがたり』など