ペットロスから「立ち直ろう」としてはいけない。とことん悲しんで|ペットロス Vol.4
<16歳の愛犬を亡くした心理カウンセラーが考えるペットロス Vo.4>
わが子同然の存在である犬が、いつのまにか自分よりも年を取っていたという事実に戸惑っているうちに逝ってしまう・・・。その喪失感ははかり知れないものがあります。
それは「心の準備をしておけばどうにかなる」とか「強い気持ちをもてば避けられる」というようなものではありません。ほかには代え難い対象を失った者ならばかならず直面する、いわば当たり前の状態です。
だってその子は、悲しいときも苦しいときもずーっと自分の側に寄り添っていてくれた、毎日抱きしめてはほおずりし、たくさんの会話を交わし、いっぱいいっぱい手をかけながら長い年月を共にしてきた「ほかのだれとも違う“特別な子”」なのですから。
確かに世の中にはたくさんの犬がいます。私を置いて逝ってしまった「ケフィ」と同じゴールデン・レトリーバーも、数え切れないほどいます。でも、私の人生を分け合い、時間を共有し、多くの思い出をつくってきた犬はケフィだけです。ケフィはこの世のどんな犬とも違う、私にとって唯一無二の存在なのです。
「ともに人生を歩んできたかけがえのないもの(愛着対象)を失う」体験をしたとき、私たちは強い不安や孤独、罪悪感などを持ちます。あらゆるものごとを否定的・悲観的にとらえ、希望が持てないなどの状態に陥り、倦怠感や無力感に襲われます。ペットロスです。
ペットロスになると、体に異変が起こることもあります。
たとえば、ふいに涙が出たり、食欲が落ちたり、逆に過剰になったり、不眠や過眠に悩まされたり、頭痛や腹痛などに襲われたりします。「なんとなく体が重い」「だるい」などの倦怠感を感じることもあります。
現実が受け入れられず、「あの子が死んだはずはない」「これは現実ではない」とその事実を否定したくなります。
愛する存在を亡くすことは、とても辛く、悲しいことです。そんな事実をそうやすやすと受け入れることなど、とてもでできません。だからそうやってその子の死を否定し、現実から目をそらすことで本能的に心を守ろうとするのです。
ケフィを失ってしばらくの間、私はまるで夢の中にいるようでした。現実感が失われ、自分を取り巻いているすべてものが遠い世界の出来事のようでした。なんだかふわふわと浮いたような感じがして、すぐ隣にいる人でさえ、やけに遠く感じました。今思い返せば、「ただ呆然としている」という状態だったのかもしれません。
最愛のケフィがいないこの世界をどうやって生きて行ったらよいかも分からない私を尻目に、地球は回り、人々は同じように生きていく・・・。そのことがとてつもない寂しさと孤独感をかき立てました。「だれも私の気持ちを分かってくれる人などいない」という思いにとらわれていたせいか、人と会ったり、人が集まる場所へ行くことが怖かったほどです。
その頃、私がよく思い描いていたのは砂漠のイメージです。「『この幕の向こうにはたくさんの人が暮らしている』と信じて生きてきたのに、ふいに風が吹いてめくり上がった幕の隙間から見えたのは人っ子一人いない広大な砂漠だった」と知り、愕然としている自分の姿が見えるようでした。

ペットロスになった私の、心と体に起きたこと

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