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「人生最悪の時こそヒントがある」NYファッション界で見たドン底と栄光

人生最悪の時こそ、ヒントが隠れている

 でも、人生は最悪な時期こそ、ヒントが隠されているもの。私の経験上のちの人生の道しるべとなるアイデアが生まれるのはそういう時なのです。  私は毎回窮地に追い込まれるような事件が発生した時こそ、強く立ちあがると言う習性を持っています。悲しい事や辛い事が続くというのが嫌なのです。そのまま負け犬になるのも我慢できません。  片頬を殴られたら、殴り返してから立ち上がりたい! それぐらいの気持ちでニューヨークでは生活していました。そして次に進むその答えは、まず周りを見渡して下さい。必ず次に進むヒントがそこにあります。  日本人の知人やスタッフにメイクをしてあげると、たちまち私のメイクアップ技術が凄いと噂になりました。日本時代も10年間モデルの育成をしていましたから、メイクアップは私の中では必然でした。  確かにこれまでも、コレクションに出るモデルのメイクを手直しすると、モデルたちは「アケミにメイクして欲しい!」と要望されたことも数えきれません。
フェイスデザインをするアケミさん

フェイスデザインをするアケミさん

 そこでアトリエの一部をスタジオに模様替えして、トータルビューティースタジオを1996年に開校しました。まだファッションデザイナーが美容を考えない時代です。トータルビューティという言葉さえも定着していませんでした。ファッションだけではなく一流のメイクアップ技術があってこそ、トータルビューティ―は完結するという概念を提唱しました。  募集をかけると反響は凄かった。“ファッションデザイナーが考えるビューティー”“フェイスデザイン”に生徒はあっという間に集まり、NY時代だけで5000人以上の生徒が受講したのです。

「私は日本人だ!」という誇り

 このスクール開校の翌年、1997年。人生の節目となる仕事が舞い込んできました。クライアントは、あの国際連合。「国連スタッフデーに日本代表として、本会議場でコレクションを発表しして欲しい」と使者が来たのです。  国連日本政府を通さず、直接私のオフィスで交渉。さすがに日本政府代表にも話を通すと、イッセイ・ミヤケさん、ハナエ・モリさんの両氏にも打診があったそうですが、最終的に私がファッションショーをお受けしました。  その時に生まれた作品のひとつが日本の伝統柄“段染め”をデフォルメしたものです。国連加盟国の大使御夫妻と国連スタッフの為に日本の美から生まれたコレクションの数々を6か月間寝食を忘れて作り続けました。 “愛と平和、そしてビューティー・・・”がその時のテーマです。
国連スタッフデー

国連スタッフデーでの作品のひとつ

 私がコレクションの最後に子供達の手をつなぎ登場すると、オーディエンスの大使達が皆立ち上がり迎えてくれました。その時の私の気持ちはAKEMI SONE MILLERではなく、ただ、ただ“私は日本人だ!”という誇りでした。自分の立場や名前なんて飛んでいました。  日本人はこんなに美しいものを創れるんだ! よく見てくれ! という気持ちです。初めて強く自分が日本人であるという意識を体験した出来事でした。
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ロックフェラー財団からファッションショーの依頼が
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