ダイアナ妃が夫の浮気のリベンジに履いた!「マノロ ブラニク」の逸話4つ
こんにちは。映画ライターの此花さくやです。
宝石のようなビジューが散りばめられたサテンのヒール……18世紀の貴婦人が履くような「マノロ ブラニク」の靴は、女の憧れ。米ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』でキャリーが、マノロの靴を盗まれて大騒ぎするエピソードを観た人も多いのでは?
マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年』が12月23日(土・祝)に公開されます。
キャリアの遍歴だけでなく、マノロ本人のユニークな魅力がたっぷりと堪能できる本作。そこで今回は、「靴のロールスロイス」と称されるマノロ ブラニクとそのデザイナー、マロノ・ブラニクにまつわる、知られざる4つの事実をご紹介します!
1. 国連に勤めていた
映画では、マノロの興味深い生い立ちが明らかになります。1942年11月27日、スペインのカナリア諸島ラ・パルマ島サンタクルスで生まれたマノロ。自然に囲まれた島で、チョコレートの包み紙でトカゲに靴を作って遊ぶ少年でした。
しかし、両親はマノロが国連で働くことを希望しており、本人もジュネーブ大学で政治と法律を専攻します。そして、両親の期待に答えるべくジュネーブの国連機関で夏休みのインターンとして働きました。作中、マノロはこの経験をこう語ります。「涙が出るほど退屈」。そして、60年代後半に当時の米『VOUGE』の編集長だったダイアナ・ヴリーランド出会ったことがきっかけで、靴作りへの道を決心したのだとか。
2. ミュールを流行らせた
ミュールは実は昔から存在しており、ルイ15世の愛人だったポンパドゥール侯爵夫人も愛用していたそう。この時代、歩きづらいミュールを実際に履けるのは馬車で移動できる上流階級の女性のみ。現在もミュールは歩きづらいものが多く、歩く時にはかかと部分が床についてカンカンと音を出しますよね?
こういった理由からミュールは長らくモードに登場しませんでしたが、マノロは「80年代はずっとミュールを作っていた」と「W magazine」のインタビューで語っています。
「ミュールを履いたとき女性はいつもと違う歩き方をする。バランスをとろうと歩く様子がとてもセクシーに見える。<中略>ヴェルサイユ宮殿をミュールを履いたポンパドゥール侯爵夫人がカンカンカンと音を立てて歩く……これ以上素晴らしいものはないでしょう!」(先のインタビューより)
その後、1990年にはアイザック・ミズラヒの春夏コレクションにピルグリムミュールを発表して、90年代はミュールが一世風靡しました。歩きづらさにもかかわらずミュールがカムバックしたのは、マノロの独特の美的感覚と歩きやすい靴の作りにあるのではないでしょうか。
3. 16人の職人が3週間かけて作る
マノロの靴が履きやすい理由は足の“重量配分”が理想だからなのだそう。マノロの靴に足を入れると、前のめりや後ろのめりにならず、体がバランスをとれるように作られているのです。
また、マノロの靴はイタリアの工房で1足3週間もかけて手作りされています。1足の靴に関わるのは16人の職人。それも昔はマノロが全工程を自身で制作していたのだとか!
今ではマノロ自身はサンプル靴しか制作していませんが、ほかの職人に任せなければいけないことがとても残念のよう……。「工房にいるときが一番幸せ」だと言うマノロの職人気質も本作でのぞけます。
日本では一足10万円以上もするマノロは外見の美しさだけではなく、その履き心地もほかの靴とは一線を画しているそう。とはいえ、庶民にはなかなか買えないですよね……。
そんな靴デザイナー、マノロ・ブラニクの実像に迫ったドキュメンタリー映画『“靴の王様”の知られざる逸話4つ
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