明らかにケフィの眠る時間は増え、活動量は減り、じっとしていることが多くなっていました。
ケフィの様子を見ていると、排泄のときふらつくことも、視野が狭くなってボールが見えにくくなったことも、耳が遠くなって反応が悪くなっていることも、認めざるを得ませんでした。
体の機能全体が落ちたため、好奇心を発揮するよりも慎重に行動するようになったことも、疑いようがありませんでした。残念ながら、ケフィの人生が下降線をたどり始めていることは、だれの目にも明らかだったのです。

ケフィとどこまでも一緒に…
ケフィが我が家に来てからというもの、私の毎日はケフィを中心に回り、ケフィとの時間で埋め尽くされていました。
朝のボール投げ、散歩、ケフィが喜ぶゴハンの用意、一緒のドライブ、トレッキングや水遊び……。楽しんでいるケフィを見ることが私にとって何よりの喜びであり、ケフィの笑顔が私の元気の源でした。
そんなケフィとの時間が無くなるなんて、想像することさえできませんでした。
私にとって、できないことが増えていくケフィを見ていることは、少しずつ欠けていく幸せを目の当たりにしているようでした。
ケフィが老いていくのと同時に、宝石のようにきらめいていた私の人生が少しずつ輝きを失っていくように感じていました。
メニエール病で倒れた後のケフィとの暮らしは、私にとって「小さな喪失体験の積み重ね」でもありました。
老いた動物と暮らすということ。
――それは、幸せを与えてくれるかけがえのない存在の大切さを再認識すること。たくさんの喪失を重ねながら、どんなにあがいても時間は巻き戻せないという現実の前であがくこと。そして、最愛の命を見送ったとき、なるべく後悔しないよう、できる限りのことをすること。今はそんなふうに思えます。

写真はイメージです
愛する者を失ったときに持ちやすい感情として、罪悪感と怒りが挙げられますが、それはどちらも最愛の命に対して
「何もしてあげられなかった」という自責の念や、「その死を防ぐために何もできなかった」という無力感に由来すると言われています。
「
自分はやれるだけのことはやった」と思えることは、やがて訪れるだろうペットロスを軽減させてくれる効果があります。
老いた動物と暮らす時間は、先に逝ってしまう動物が、「飼い主の負担を少しでも軽くしよう」と用意してくれた別れへの大事な準備期間なのかもしれません。
<TEXT/木附千晶>
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【木附千晶プロフィール】
臨床心理士。IFF CIAP相談室セラピスト。子どもの権利条約日本(CRC日本)『子どもの権利モニター』編集長。
2018年4月14日(土)13時30分~16時45分、少人数の
「ペットロス」セミナーを行います(港区東麻布、カウンセリングルーム「IFF」相談室内)