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いつか来る“母の死”。「半年たってやっと泣けた」瀧波ユカリの体験マンガ

思い出すのは元気なころの母の姿

――マンガには、お母さまとの別れの時やその後の大変さも描かれていますが、落ち着いてからの気持ちはどんな感じでしたか? 瀧波:出せなかった遺影が出せるようになったり、頻繁に思い出していた昔のむかつくことをあまり思い出さなくなったりって、ちょっとした変化が積み重なっていったくらいで、亡くなった実感をするようなことはなかったですね。  半年ぐらい経って熱が出た時に、思い出して泣いたのは一区切りではあったけれど、それで死を受け入れたって感じでもないというか。今も母の死に対して、事実以上のものは特にないんですよ。  よく、「時間が経って死を受け入れる」みたいなイメージがありますけど、みんながみんなそうではないと思うし、私は「受け入れられない」とか「受け入れたい」とか思ったことはないですね。
『ありがとうって言えたなら』P172

『ありがとうって言えたなら』より

――実際はそのような感じなのですね。 瀧波:例えば突然亡くなったとかならまた違うと思いますけど、いろいろ考えて、やるだけのこともやった末だから、「大変で頑張らなきゃいけない大きなことが、やっと終わった」という感じです。  ほっとした気持ちもあったし、もう楽しんで飲みに行けるんだとか、いつ電話が鳴るかわからないからって電話を枕元に置いて寝るような、いつどうなるんだろうみたいなハラハラは、もうないんだなーって。嬉しいというよりは、安堵感ですね。  今振り返ると、介護って、非常事態が長く続いた状態だったんだと思います。 ――最後に、今のお母様への思いを聞かせてください。 瀧波:今思い出すのは、病気になる前の元気でピンピンしていたころの母の姿です。  面倒くさくて、付き合いにくい親でしたけど、出てくるのは社交的で、活力があって、元気でニコニコしている母なので、そういうふうに思い出せるように生きてくれたというのは、すごくよかったなぁと思いますね。 ―『ありがとうって言えたなら』瀧波ユカリさんインタビュー Vol.3― <TEXT/千葉こころ> ⇒この記者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】
千葉こころ
ビールと映画とMr.Childrenをこよなく愛し、何事も楽しむことをモットーに徒然滑走中。恋愛や不倫に関する取材ではいつしか真剣相談になっていることも多い、人生経験だけは豊富なアラフォーフリーライター。
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