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「水ぼうそうキャンディー」で我が子にわざと感染させる…ワクチン反対派の母親たち

 ワクチン注射は打つべきか、否か。  日本ではHPVワクチンを巡って薬害訴訟などが起きており、議論が巻き起こっているが、欧米でも同様だ。ノンフィクション作家ユーラ・ビス氏はワクチン賛成派と否定派の声や医師たちの意見を聴き、『子どもができて考えた、ワクチンと命のこと。』という本にまとめた。 『子どもができて考えた、ワクチンと命のこと。』 同書は最初に刊行されたアメリカで、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグらから「読むべき本」として絶賛されている。  ビス氏によると、「子どもの免疫をつけるため、ワクチン接種ではなく伝染病に『自然』感染させることに魅力を感じている親もいる」という。なぜ自然派ママはワクチンを拒むのか。そしてどうやって子どもに感染させるのか。 ※以下、『子どもができて考えた、ワクチンと命のこと。』より一部を抜粋し、著者の許可のもと再構成したもの。

人工物質は有害、天然物質は無害という思い込み

 ワクチンに対する不安は簡単にはおさまらない。専門家によるリスク便益分析の結果、害より益のほうがはるかに大きいことが判明したと、いくら言われても私たちの不安は変わらない。ワクチンで重い副作用が出ることはごく稀だ。だが、どれほど稀かを正確に数値化するのはむずかしい。  子どもに免疫をつけるため、ワクチン接種ではなく伝染病に「自然」感染させることに魅力を感じている親もいるようだ。  薬のほとんどが、有益であると同じくらい有害だ。医師である私の父はいつも「医療において完璧な治療法はない」と言っていた。それはおそらく真実だろうが、医療が欠陥だらけだと知ったところで何の慰めにもならない。私たちの求めるものが慰めであるとき、代替医療が与えてくる万能薬は「自然」という言葉だ。人知を超えた素晴らしい力という印象を与える。  治療の文脈で自然という言葉が使われるとき、それは「清純な」「安全な」「体にやさしい」というその言葉以外の意味を含める。しかし、自然を善と同じ意味で使うのは、たいていの場合、私たちが自然界から遠ざかってしまったからこその憧憬にすぎない。  たいていの人は天然物質より人工物質を有害だと思っている。私たちはどれだけ反証を積まれても、人の手が加わっていない「自然」のほうがすぐれていると考えてしまうようだ。そうしたワクチンを拒む親が自然感染という考え方を魅力にみてしまうのは、ワクチン接種を「不自然」なものと考えているからだろう。

水ぼうそうの子が舐めたキャンディーを売買する親たち

水ぼうそうの子が舐めたキャンディーを売買する親たち

※写真はイメージです

 さて、そうした自然派の親たちは「水ぼうそうパーティー」を開くこともある。水ぼうそうにかかった子どもを自宅に呼び、自分の子どもに感染させようとするのだ。  また、2011年にはテレビニュースで「水ぼうそうキャンディー」を売っていた女性へのインタビューが報じられた。水ぼうそうにかかった子が舐めたキャンディーを親同士で交換している実態があることが明らかになった。これが危険なのは、かつて腕から腕へのワクチン接種が危険だったのと同じく、別の病気までうつる可能性があるからだ。  19世紀にワクチン接種の代替として人痘接種(ヒトから採取したうみやかさぶたを用いた予防法)に人気が集まったことがあった。ワクチン接種も人痘接種も高熱を引き起こしたり、予防するはずが感染症したり、危険性はある。とはいえ、人痘接種はそれで防ぐはずの感染症で1~2%の死者を出していて、ワクチン接種よりはるかに危険だった。にもかかわらず人痘接種は残った。人痘接種を望む人は「本物と思えるほうを好んだ」からだという。
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ワクチン賛成派と反対派の間にある深い溝
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