被災地にはモノや千羽鶴でなく、募金を!現場からの“迷惑”報告
死者159名、行方不明56名(7月10日現在)に上り、西日本に甚大な被害をもたらした平成30年7月豪雨。今も必死の救命、捜索活動が続けられています。
たとえば、物資が大量に送られてきた倉敷市。猛暑の時期に着られない秋冬物の洋服も多かったそうで、人手が足りず仕分けができないので避難所のスペースを圧迫するだけになってしまったのです。
こうした状況に、市は10日、支援物資の受け入れを一時的に休止すると発表しました。また、個人がたくさんの支援物資を路上に置いていき、自衛隊の通行のジャマになるのでやめてほしい、と悲鳴のようなツイートもしています。
まずは、あわてて物資を送るのはやめてください。被災地に物がないのは、品物自体がないのではなく、道路などのインフラが断たれてしまったために、正常に供給されていないだけなのです。
加えて、送る物についてもよく考えましょう。
同サイトには過去の被災地からの声も多く紹介されています。
2004年の新潟県中越地震ではこんなことがあったそうです。食料、衣服、水などが無造作に詰め込まれているぐらいなら、まだいい方。ひどいものでは、シミのついた古着が送られてきたのだそう。
10tトラック450台分もの支援物資が避難所・体育館などを埋めつくし、さらに民間倉庫を借りるのにお金がかかり、2年がかりで海外などに送ってやっと処分できたというのです。
長岡市の危機管理防災本部の林智和氏は、「被災地がごみ処理場になっていないだろうか」と当時を振り返っています(冊子『中越発 救援物資はもういらない!?』より)。
だから不特定多数からいっぺんに物を送られてしまうと、膨大なダンボールを運んだり仕分けするムダな作業が増えるばかりで、被災地に余計なストレスがかかってしまうのです(それは千羽鶴であっても同じでしょう)。
物資が必要になれば、各自治体からアナウンスがあります。その時点で、何がどれだけ必要なのかを確認してから送るようにするべきでしょう。
そして、何よりも効果的なのは物資ではなくお金。お金ならば、被災地の判断ですぐに必要な物資に換えることができるからです。
確かに義援金が適切に分配されるだろうかと不安な気持ちになるのもわかります。実際、阪神淡路大震災のときには、それが大きな課題となったようです。
でも、配送もままならず、人手も不足しているなかで荷物の処理を強いることを考えたら、たとえ少額であってもお金のほうが有効なのは確か。着られない服の山はゴミにしかなりませんが、お金はどれだけ集まってもムダにはならないからです。
メディア各社やコンビニ、スーパーなどが呼びかけている募金、ふるさと納税サイトからの寄付など、方法は様々あります。
阪神・淡路大震災のとき、ある自治体では支援物資の処分に2300万円もかかったそうで、「こうなるともう二次災害」と「レスキューストックヤード」は書いています。
被災地を応援する熱い気持ちは胸に秘めて、冷静で効果的な支援をコツコツ続けていくことが大切なのだと思います。
<文/女子SPA!編集部>
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全国に支援の輪が広がっていますが、残念なことに被災地のニーズに合わないケースも多々あるのだそうです。
救援物資があふれる倉敷市から悲鳴
こうした動きに対して、ネットでは“善意を無にするのか”といったクレームの声があがったり、“千羽鶴は迷惑か否か”なんていうノンキな議論が起きたりする始末。 もちろん、ほとんどの人は真剣に心配したうえでの行動なのだろうと思います。 でも、一番に優先すべきは被災者の声ですよね。せっかくの善意が有効に行き渡るよう、今一度チェックすべき点をおさらいしてみました。 NPO法人「レスキューストックヤード」のサイトにわかりやすくまとめられていましたのでご紹介します。 (以下は、同サイト「支援物資を提供する」を参考に要約) http://rsy-nagoya.com/volunteer/sizai.html倉敷市からのお願いです。現在、倉敷市では個人の方からの救援物資を受け付けていませんが、真備町川辺橋前に沢山の支援物資が置かれており、自衛隊の通行の妨げになり困っています。お気持ちは大変ありがたいのですが、支援物資を川辺橋前に置かないようお願いします。
— 倉敷市 (@Kurashiki_City) 2018年7月8日