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Vol.3 “家族が得意じゃない”から離婚した30代男性「なにげない幸せがわからない」

誤った責任感で結婚

 高校卒業後、他県の超難関大学に合格した橋本さんは一人暮らしをはじめ、ジャズ研のつながりで知り合った実家暮らしの近隣女子大生・優子さん(仮名)と交際をスタートする。橋本さんは19歳、優子さんは2歳上の21歳だった。 「僕の大学と優子の女子大の間には、よくカップルが成立していました。女子大のほうは僕の大学より偏差値が10以上低かったんですが、アクの強い学内の女子にいかず、昔ながらの良妻賢母な女子が多い優子の大学に目が行く男は多かった。僕もそのひとりです優子さん(仮名)と交際をスタートする 優子さんはそれほどジャズが好きというわけでもないし、何かのカルチャーにものすごく詳しいわけでもない。自己主張もあまりない。気立てが良くて穏やかで優しい女性だそうだ。  優子さんは卒業後、地元建設会社の事務職に就職。いっぽうの橋本さんはその2年後、現在も勤める都内の出版社に入社する。ここで遠距離交際になるかと思いきや、優子さんはあっさり会社を退職して橋本さんを追いかけ、上京。派遣社員の仕事をしながら橋本さんとの同棲をはじめる。そして数年が経過した。 「優子は、結婚したい、子供がほしいとしきりに言ってくるようになりました。僕としては、結婚する気持ちはこれっぽっちもなかったですし、子供にもまったく興味がありませんでしたが、20代前半から付き合った女性を30歳手前で放り出すなんて、さすがにひどいなと思って……。あまり覚悟もなく結婚しました。僕が27歳、優子が29歳の時です」 「責任感が強いんですね」と言うと、橋本さんはすかさず「誤った責任感ですけどね」と自嘲気味に答えた。

子供ができてもダメだった

 橋本さんによれば、優子さんは「家族との暮らしや日々の小さな幸せを大切にする人」だった。しかし、この一般的にはとても好ましく人間味ある彼女の価値観に、橋本さんはどうしても共感することができなかった。 「両親の不仲とストレスフルな寮生活を経験した僕は、家族であるというだけでひしひしと感じる幸せとか、日々の生活からにじみ出る幸福みたいなものを、まったく解さない人間だったんです。ただ、それでも目立った波風は立ちませんでした。今思えば、彼女が僕に合わせてくれてたんでしょうね。当時の僕はまったく無自覚でしたが」  しかし結婚から3年後に子供が生まれたことで、価値観のズレは一気に顕在化する。 子供ができてもダメだった「子供は欲しくなかったんですが、優子の望みに応えてやりたくて。それに、僕は期待したんです。家族であるというだけでひしひしと感じる幸せみたいなものを今までは感じられなかったけど、さすがに生まれてきた子供の顔を見れば感じられるのではないかと。世間ではそう言われてますし、新聞や雑誌の記事にいくらでもそう書いてあるでしょう」  しかし、期待は無残にも裏切られる。
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僕は欠陥人間でした
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