木村友祐「幸福な水夫」未来社
騒ぎが大きくなり、参考文献としてあげられた「天空の絵描きたち」の作家、木村友祐氏がツイッターを更新。古市憲寿氏の「翻案」疑惑を以下のように否定しました。
<「〈要するに、古市さん、文芸誌に掲載されたが出版されていない佳作を探してきて、うまいこと翻案して小説書いたようである〉
違いますよう。古市さんが窓拭きに興味をもち、取材依頼があり、応じました。窓拭きの達人を紹介しました。古市さんはその取材をもとに書いてます。>
<窓拭きの細部以外は、ぼくの作品と古市さんの作品は別のものです。そしてぼくは、“知名度がないゆえに作品を利用されたかわいそうな小説家”ではありません。知名度はないけど。>
ですが、経緯はどうあれ、両作を読んで「古市さん、これはアカン」と判断した選考委員が複数いたわけです。
古市氏は、選評や、参考文献の影響について現時点ではコメントしていません。選評が出る前の「古市憲寿の芥川賞“連敗記”」(「週刊新潮」8月1日号)では、小説に込めたものについて下記のように書いています。
「(自身の前作『平成くん、さようなら』)の主人公は虎ノ門のタワーマンションに暮らす富裕層の若者。一方の『百の夜』はタワーマンションを外側から清掃する肉体労働者でワンルームアパートに暮らす。
(中略)僕自身の生活スタイルはどちらかといえば『平成くん』寄りだ。だけど『百の夜』の世界に共感できないかというと、そんなことは全くない」
「『百の夜』の執筆中には、違う世界にいる『僕』のことを考えていた。もしも違う大学に入学していたら。もしも大学院に進んでいなかったら。もしも本を出版できていなかったら。
その人生がどうだったかは想像するしかない」
SFC(慶應大学湘南藤沢キャンパス)から東大大学院を出て“富裕層の若者”になった古市氏が、ビルの窓を拭く人生を想像して物語を書くーー。その想像力に小説家としての根本が問われるわけですが、選評で吉田修一氏は、小説の主人公の価値観に<唖然(あぜん)とする>と述べています。
<タワーマンションの上層階に住んでいるのが上流で、下層階は下流? 高層ビルの中で働いている人が優秀で、外で働いている人が劣等?
もちろんこのような凡庸で差別的な価値観の主人公を小説で書いてもいいのだが、作者もまた同じような価値観なのではないかと思えるふしあり、ともすれば、作家としては致命的ではないだろうか>。
他者への想像力が足りないということは、実は、古市氏の小説以外の発言でも批判されたことがあります。それが、軽やかな“本音キャラ”としてテレビ的にはウケているのかもしれませんが…。