意志の愛に必要なのは信頼と心の自立です。その人を愛するには、その人が愛するに見合う人でなければならず、それにはその人のことを信頼できなければなりません。また、信頼は対等な関係だから依存や服従のように上下の関係とは違います。自分の意志を持っているという意味で精神的に自立している必要があります。
感情の愛に必要なのはトキメキと心の欠乏です。

恋と呼ばれるもの同様に、その人のことを考えたり、その人と見つめ合ったりするだけでドキドキします。それは快感でもあり苦痛でもあります。精神的に不安定で、心に穴が空いているような感覚です。だから、その穴を埋めて満たされたいために相手を求めます。
意志の愛は、愛すること自体が最大の喜びであり、相手の喜びが自分の喜びになるので与えたり、与え合ったりします。その喜びは穏やかで深い。このようなことをしている自分に酔い、意志の愛を全うすることが目的となってしまうと、相手が誰でもよくなっており形式の愛となってしまい意志の愛とは別物です。関係の中から生まれるという愛の本質はそこにはなく、あるとしたら自分愛というエゴです。
感情の愛も与えることもあるが、そこには見返りを求める欲望が付いてくるので、純粋な与えるではないです。自分が満たされるために相手を欲し、独占的に所有しようとします。それが満たされた時の喜びは非常に大きく至福と呼ばれることがあり、これこそが生きる目的とさえ言う人もいるほどです
意志の愛を世界の宗教家の多くが真実の愛と呼んでいます。それは人々に調和をもたらし、心に平穏が訪れるとされるからです。人として高い次元にいるとされ、平和や社会的弱者の救済に関心があり、対個人より対全体への愛に変化していくことがあります。
感情の愛はまやかしや幻想、時には罪と呼ばれます。その一方で、評価の高い芸術作品を生み出してきたのはこちらの愛の方が多いのも事実です。それは、愛の持つエネルギーが衝動的かつ情熱的で、量としても莫大だから、創造する力に変換されると奇跡的なことになる場合があるからです。