37歳で想定外に妊娠した私、夫の「前妻のときはそんなことなかった」発言に困惑
37歳で想定外の妊娠をしたフリーライターの私。
長年、生理不順で3〜4か月生理が来ないのは珍しくなかったこと、婦人科で不妊治療をしないと妊娠は難しいと言われていたこと、ADHD(注意欠如・多動性障害)の特性でセルフネグレクト癖があり自分の体の管理がおざなりになること、さらに算数障害(発達障害の一種で数字、計算に困難を抱える学習障害)で生理周期を把握していなかったことなどさまざまな要因が重なって、気付いたときにはすでに16週(妊娠5か月)に入っていた。
同じ週数の他の妊婦より、ある意味遅れてスタートしたマタニティライフ。妊娠・出産・育児について知識がゼロだったため、遅れた時間を取り戻すよう、毎日調べ物をして知識を詰め込んでいった。
【過去記事を読む】⇒特集「ADHDライター、突然ママになる」
しかし、夫は前妻との間に2人子どもがいる育児経験者だ。ある程度のことはわかっていると思い、わからないことは夫に聞けばいいと思っていたのだが、話してみると想像以上に「知らない」「覚えていない」とうことが多かった。
保健師さんとの面談を受けて「産後ケア入院」(助産院や医療機関などに数日〜1週間ほど滞在し、授乳指導や育児サポート、母体の休養などを受けられる自治体の支援制度)を知った日、「産後ケア入院、利用していいでしょ?」と聞くと「何それ? 前妻はそんな利用していなかったし第一何をするの? 必要なら利用してもいいけどお金がかかるんでしょ?」と言われた。
産院に行って赤ちゃんを預かってもらって少し休んで食事をしたり、沐浴の仕方を習ったりするんだよと言ってもよく理解していないようだった。
保健師さんとの面談では「ファミリーサポート」(地域の子育て支援サービスで、子育てを手伝ってほしい人と手伝いたい人をつなぐ有償の相互援助活動)についても案内があったのと、作家の先輩ママから「登録会に行く必要があって、産まれてからだと赤ちゃん連れて行くのは大変だから生まれる前に登録会に行ったほうがいいよ」とアドバイスされたことを夫に話すと、ファミサポも知らなかった。
どうやらたいそうお金がかかるものと思っているらしく「そういうのはお金持ちが利用するんだよ」と言う。しかしファミサポは一部が国や自治体からの公費で賄われているため、それなりに安価で利用できる。
またある日、私がAmazonを見ながら「授乳クッションってどんなのがいいんだろう?」と相談したところ「前妻はそんなの使ってなかったと思う」と言ってきたが、授乳クッション無しで授乳するのは体に負担がかかる。
妊娠30週になった最近、大きなお腹でフゥフゥ言いながら家事をしていると突然「なんか腹デカくね? 前妻はこんなに腹出てなかった!」と驚かれた。お腹の出方には個人差があるし、自分でも大きい方だと自覚している。
いろいろと説明するのがめんどうになってきた。産後ケア入院は病院の入院予約手続きの際、助産師さんから自然な流れで「うちの産後ケアを利用されますよね? ここに記入してください」と言われたので2泊3日で申し込んだ。費用は区が一部助成してくれるので1泊3000円で済む。(助成がないと1泊1万円)。ファミサポも一人で登録会に行った。
前妻との間に子どもがいるのに、なんでこんなに知らないんだろうと思って詳しく聞いてみたところ、当時は仕事で家にほとんどおらず、加えて前妻の親の手厚いサポートがあったため、実際は育児を横で見ていた形に近いことがわかった。私は“育児経験者”という言葉を過信しすぎていたのかもしれない。
頼りにしていた夫、なぜか知らないことが多い
“育児経験者”を過信しすぎていたかも
またある日、私がAmazonを見ながら「授乳クッションってどんなのがいいんだろう?」と相談したところ「前妻はそんなの使ってなかったと思う」と言ってきたが、授乳クッション無しで授乳するのは体に負担がかかる。
妊娠30週になった最近、大きなお腹でフゥフゥ言いながら家事をしていると突然「なんか腹デカくね? 前妻はこんなに腹出てなかった!」と驚かれた。お腹の出方には個人差があるし、自分でも大きい方だと自覚している。
いろいろと説明するのがめんどうになってきた。産後ケア入院は病院の入院予約手続きの際、助産師さんから自然な流れで「うちの産後ケアを利用されますよね? ここに記入してください」と言われたので2泊3日で申し込んだ。費用は区が一部助成してくれるので1泊3000円で済む。(助成がないと1泊1万円)。ファミサポも一人で登録会に行った。
前妻との間に子どもがいるのに、なんでこんなに知らないんだろうと思って詳しく聞いてみたところ、当時は仕事で家にほとんどおらず、加えて前妻の親の手厚いサポートがあったため、実際は育児を横で見ていた形に近いことがわかった。私は“育児経験者”という言葉を過信しすぎていたのかもしれない。



