小沢健二“48歳の若さ”が痛々しい…タモリはどう聴くだろう
2月22日に約19年ぶりのシングル「流動体について」をリリースした小沢健二。『ミュージックステーション』(2月24日放送)への出演も話題を呼びました。
多くは復活を喜ぶファンの声でしたが、一方でルックスや歌声の“変化”に戸惑った人も。「オザケンがオジサンに……」、「齋藤孝先生みたい」といったものから、「声が出てない」とか、しまいには「見なきゃよかった」とのヒドいコメントもありました。
筆者の感想は、休養明けでものすごく久しぶりにテレビで生歌を披露する緊張を考えれば、あんなものなのではないかといったところ。それでもオーディエンスが優しくて救われた感は否めませんが。
しかし、筆者の感じた違和感はルックスや歌声ではありませんでした。新曲の前に披露された「ぼくらが旅に出る理由」で、バックバンドが変なかぶり物をさせられていたのを目にして、どこかおかしいなと。これは20年前ならば理解できたノリではあるけれども、さて今現在はどうだろうか。
若作りしたオッサンが楽しんでた自分を再現してまた新たに楽しんでる姿をお見せしますみたいな、ややこしいことになってはいないだろうか。
そんな嫌な予感は、新曲「流動体について」で確信に変わりました。朝日新聞の全面広告に掲載されていた歌詞を読むと、20年前にあのタモリが絶賛したオザケンはどこへ行ったのだろうと驚くほどの激変ぶり。くだらない社会学者が好みそうなフレーズで埋め尽くされていたのです。
たとえば、
<だけど意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく>とか、
<躍動する流動体 数学的 美的に炸裂する蜃気楼>とか……。
抜き書きしたこちらが恥ずかしくなってしまいます。
“理解できないお前がバカなだけだ”と言わたら、そうですね、かわりにウォーレン・ジヴォンの「The Indifference of Heaven」でも繰り返し聴こうと思います。
それはともかく、これがパロディならばまだ救いはあるのですが、どうもそうではない感じがする。間違ったやる気がひしひしと伝わってくる。そこでオザケンの「さよならなんて云えないよ」(’95年)について語ったタモリの発言を振り返ってみましょう。
「人間の能力で一番凄いのは複雑なものを簡単にポッと出すことなんだよね。簡単なものを複雑にやるのが一番バカなんだよね」
(『笑っていいとも』1996年1月29日放送)
<左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる 僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも>(「さよならなんて云えないよ」)と、<乱れ咲き 尾根を燃やし生き返らせてゆく炎>(ニューシングルのカップリング曲「神秘的」)を見比べれば、その違いが一目瞭然なのではないでしょうか。
つまり今回の新曲は、「簡単なものを複雑にやる」という「一番バカ」の見本になってしまっているのですね。読書のしすぎで消化不良を起こしている中学生のような痛ましさです。
ルックス以上に激変したもの
27歳のオザケンを絶賛したタモリの言葉
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