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「自分たちのサッカー」は、いつから日本代表の口癖になったのか

 早くも今年度の流行語大賞にノミネートされそうな勢いの「自分たちのサッカー」。  コロンビア戦直前の会見で、キャプテンの長谷部誠選手はこう述べました。 「自分たちのサッカーを出して、これから10年、20年先の日本サッカーの未来につなげられるように、それを出そうと4年間ずっとやってきました」「勝利に近づくためには、やはり自分たちのサッカーをすることだと思います」(Goal.com 6月24日)。

ツイッター上でも「自分たちのサッカー」への賛否両論があふれていた(6/25、14:45時点)

 結果は1-4で涙の惨敗……。  今大会のあいだ、いろいろな選手が「自分たちのサッカー」というフレーズを連発しました。しかし「自分たちのサッカー」とは、どんなものなのでしょう。そしてその問いに明確に答え得る今大会の出場国が、一体どれだけあるというのでしょう。  サッカー解説者のセルジオ越後は、この難問を完膚なきまでの正論で一蹴します。 「『自分たちのサッカー』がどうこうというフレーズが騒がれているけど、一つ答えを出すとすれば、今日この試合(筆者注・ギリシャ戦)で見せたプレーが、まさに『自分たちのサッカー』だよ。本来の力を出せていないのではなくて、これが世界における我々の本来の力なんだ」(『SOCCER KING』6月20日 13時2分配信)  これはセルジオ氏のような専門家のみならず、一視聴者として今大会を観戦した人間ならば多かれ少なかれ感じたことでしょう。技術、戦術に関する専門的な観点からのみならず、素人ウォッチャーが抱く印象でもセルジオ氏の出した結論とはあまり大差ないのではないか。

16年前にも言われていて、今大会ではほとんど口癖に?

 ところで、対戦相手ありきのスポーツであるサッカーにおいて、なぜことさらに「自分たちの」型にこだわるのでしょうか。たとえばネパール代表との試合でも、ブラジル代表との試合でも体現すべき「自分たちのサッカー」は同じでなければいけないのでしょうか。そんなおかしなことはありません。となると問題はそれが実現できていないことよりも、それにこだわる姿勢そのものにあるのではないでしょうか。  この「自分たちのサッカー」というフレーズ。実はかなり年季が入っているのです。98年フランスW杯。初戦のアルゼンチン戦に敗れ、2戦目のクロアチア戦を前に当時の井原主将はこのように語りました。 「(相手の)布陣ややり方が変わると思うが、向こうに合わせるのではなく、自分たちのサッカーをやりたい」(井原 正巳/日刊スポーツ 98年6月19日)  そして「自分らしさ、もってる?」という携帯電話会社のCMで一世を風靡した中田英寿が中心選手となった02年日韓大会から06年ドイツ大会を機に、「自分たちのサッカー」は日本代表を語る際に欠かせないマジックワードとなります。 「決勝トーナメントでやるチャンスなんてそうあるわけじゃない。自分たちのサッカーでチャレンジして楽しみたい」(中田英寿/朝日新聞 02年6月15日) 「最後の20分は体力の消耗が激しく、自分たちのサッカーができなかった。これは日本だけでなく、このコンディションなら難しいものがある」(ドイツW杯クロアチア戦のドローを受けて 田島幸三技術委員長(当時)/日刊スポーツ 06年6月19日) 「自分たちのサッカーをして、勝ちにこだわろうと、皆で試合に入った。こんな幸せなことはないと思う。本当にいろいろな人に支えられているし、感謝の気持ちを表現したい」(南アW杯デンマーク戦の勝利後 長友佑都/読売新聞 10年6月25日) =================== ●「自分たちのサッカー」ヒストリー ※W杯開幕1週間前~閉幕のあいだ、W杯に関連して「自分たちのサッカー」が登場した記事を新聞4紙(朝日・読売・日刊スポーツ・スポニチ)で調べてみました。 1998年 8件 2002年 21件 2006年 24件 2010年 15件 2014年 48件(6月25日 正午時点) 2002年はトルシエ監督の発言が多い。2006年はジーコ監督に加え、中村・宮本など選手の発言が増えていく。2010年以降は、長友・長谷部ほか様々な選手、メディアや応援する人が口にするように。2014年は集計期間が短いのに、この急増ぶりはいかに……。 ===================

終わりなき”自分探し”と似ている?

 時代が変わり、監督が変わり、選手が変わっても「自分たちのサッカー」だけは変わらず日本代表の中心に位置している。しかしいまだかつて、それを明確に説明できた人はいません。なのに皆それがたしかに存在するかのように語る。まるで座敷童です。  さらに注目すべきはこのワードが登場する状況です。それは極端な劣勢で運を天に任せるか、ひとつ目標を達成したあとに感慨にふけって思考停止に陥るか。そのいずれかの場面でしか登場しないのです。そして、このフレーズの頻度が急激にアップした今大会の結果はというと……。 「自分たちのサッカー」が登場してから、少なくとも16年が経ちました。いまだに日本代表はそれを追い求めているようです。しかもこの期に及んで。その姿は、“自分探し”にハマった挙句、結局自分を見失ってしまった“意識の高い人”のように見えないでしょうか。なまじ真面目なだけに扱いが難しい。今大会の日本代表に対するいわく言い難い違和感は、16年の間に生じた錆のようなものだと言えるでしょうか。 <TEXT/沢渡風太>
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