たとえば、aiko(44)なら、一曲の中で“そこでこうくるか”とうならせるフレーズが必ずあります。象徴的なのが「くちびる」(2012)でしょう。まさにサビに入る、そのフレーズで、突然ブルースが響き出すのです。何の予告もなしに、それまでのストレートな音階から半分、もしくは4分の1ほどズラした音が使われ、楽曲全体のトーンをガラリと変えてしまう。黒人音楽の鮮烈な解釈として、忘れがたい一曲です。
そして、宇多田ヒカル(37)の奇跡的なタイム感も忘れることはできません。「Be My Last」(2006)のサビで繰り返されるフェイクには驚かされました。ひとつのリズムの定められた横幅の中で、自由自在に時間を操る運動神経は群を抜いています。
一方、あいみょんを聴いていても、このような発見はありません。誤解を恐れずに言えば、そんなに一生懸命にならなくても楽しめるのです。しかし、細部のきらめき以上に、彼女には大きなアドバンテージがあるように思います。