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あいみょん、ドラマ主題歌にCMと絶好調。“驚きがない歌”の力とは

aikoや宇多田ヒカルのような鮮烈さはない

 たとえば、aiko(44)なら、一曲の中で“そこでこうくるか”とうならせるフレーズが必ずあります。象徴的なのが「くちびる」(2012)でしょう。まさにサビに入る、そのフレーズで、突然ブルースが響き出すのです。何の予告もなしに、それまでのストレートな音階から半分、もしくは4分の1ほどズラした音が使われ、楽曲全体のトーンをガラリと変えてしまう。黒人音楽の鮮烈な解釈として、忘れがたい一曲です。  そして、宇多田ヒカル(37)の奇跡的なタイム感も忘れることはできません。「Be My Last」(2006)のサビで繰り返されるフェイクには驚かされました。ひとつのリズムの定められた横幅の中で、自由自在に時間を操る運動神経は群を抜いています。  一方、あいみょんを聴いていても、このような発見はありません。誤解を恐れずに言えば、そんなに一生懸命にならなくても楽しめるのです。しかし、細部のきらめき以上に、彼女には大きなアドバンテージがあるように思います。
あいみょん裸の心

シングル「裸の心」ワーナーミュージック・ジャパン

音楽を熱心に聞かない層にもうける

 それは、ギターを抱えた立ち姿のシルエットがカッコいいこと。そして、歌以前の発声そのものに、慎ましやかな知性も感じます。女性ファッション誌『Vogue』にもたびたび登場しているように、ファッションアイコンでもある。  こうしたトータルなキャラクターを押し出すパーツの一つとして、おおらかで凡庸な音楽がうまいこと機能していると思います。そのおかげで、熱心に音楽を聞かない層にも受け入れられる間口の広さが生まれているのではないでしょうか。  特に、全編ワンカットであいみょんのアップで構成されている「さよならの今日に」のMVは説得力十分でした。彼女が映っているだけで、なんとなく見てしまう。着こなしや仕草、表情など、全人格的な懐の広さが伝わるから、気になってしまうのですね。ファン以外にもアピールする上で、欠かせない資質でしょう。もしかしたら、作曲の技術以上に大切なことかもしれません。  なかなか音楽が売れない時代に、したたかに売れ続けるあいみょん。天才や奇才などと呼ぶ必要を感じさせないところに、非凡さがうかがえるのです。 <文/音楽批評・石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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