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乙武洋匡さんの子供たちが面会にノー?離婚した両親を子はどう見ているか

社会人になる報告をしに父に会いに行った

 サトシさんが父親と再会したのは、大学を卒業したときだ。父の勤務先はわかっていたので会いに行った。母には話していない。離婚してから母は、ときどきため息をつきながら「あんな人と結婚しなければよかった」と言っていた。 「結婚しなければ僕らも産まれていないから気分は複雑なんですが、小さいころはそういう母の言葉に惑わされて、父が悪いんだと思っていた。だけど高校生にもなると、僕らのわからない夫婦の関係というのもあるんだろうな、とやはり離婚家庭に育った友人と話したことがあるんです」  だから社会人になるとき、父に会いに行ったのだ。なんとか社会に出ることができたと報告したかった。 「父の会社で呼び出してもらったんですが、僕を見るなり父が立ち止まって、少しずつ近づいてきながら目に涙をいっぱいためていた。もっと早く来ればよかったと思いました」 勝ち(射精)にこだわる男性の心理とは 父と話すと、父は子どもたちに会いたいとさんざん母に申し入れていたそうだ。だが母は頑として合わせてくれなかった。 「何が母をそこまで追いつめたのか、父が怒らせたのかと聞きたかったけど、もうそんなことはいいか、と思いました。それ以来、父にはときどき会って一緒に酒を飲んだりしています。このことをいつ母に言うかが非常に悩みどころで……」  大人になった今も、サトシさんは両親に忖度しながら頭を悩ませている。

母子家庭でずっと家事に追われて育った

「私が育った家庭もちょっとひどかったですよ」  苦笑しながらそう言うのは、ミキコさん(38歳)だ。彼女が8歳のとき父が帰らなくなった。どうやら女性と暮らし始めたらしい。下には3歳になったばかりの弟がいた。  その後、離婚が成立するとき、母は「おとうさんと一緒に暮らしたいなら言いなさい」と言ったし、父からも「来てもいい」と言われたんですが、「流れからして父を選ぶのは不可能」だったという。 「母は自分の実家と父の実家、両方から援助を受けて私たちを育ててくれました。もちろん弟が入学してからは母も必死で働いていた。私は中学生になっても部活もできず、早く帰って夕飯の支度をしていました。学生生活で楽しいことなんてなかった。ずっと家事に追われていたから」 女子高校生 悩み苦悩 孤立孤独 高校を卒業後、彼女は就職した。進学校だったため就職したのはクラスで彼女だけだったという。それでもミキコさんは弟が高校を卒業したあと、大学の二部に入学、仕事と学業をやりとげた。 「私が大学を卒業したのは28歳のとき。あんなに世話した弟は、高校を卒業すると海外を放浪するようになって……。私の努力はまったく報われなかった」
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出て行った父が最後に頼ったのは…
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