“遊びのセックス”の難しいところは、愛を目指してすると目的を持つことになるので、“遊び”でなくなってしまうという矛盾が生じる点です。
ここら辺は理屈っぽくてあまりピンとこない人が多いのでこれくらいにします。今回はもうちょっと現実的に考えていきます。
セックスの意味付け、価値付けが赤色の場合に比べ難しいのは、各人が考える意味や価値がなかなか一致しにくいからです。家族間でもズレることが多々あるし、長く付き合っている2人の間でだんだんとズレていくこともざらです。
セックスの意味や価値をすり合わせていくことは、人生観や人格を変えていくことに近く、なかなか難しいです。変えられた方は、過去の自分を否定されたり、内面をいじり回されたような不快感や屈辱感を感じることになりがちです。
あなたと彼のセックス観はズレています。問題なのはズレていることではなく、そう認識できているのがあなただけな点です。ズレていることをお互いに認識できていれば歩み寄ることも、そのまま互いを尊重し合うことも出来ます。でも今のように片方だけがズレを感じていると、そちら側だけが我慢をすることになります。それは次第に苦痛や怒りになり、最終的には人格を否定されている感覚や攻撃になります。
なので、
付き合っていく上でセックスが大切だと思うのなら、初めはズレていることが当たり前だし、途中でズレていくこともよくあるという前提に立ち、どのようにそれを受け止めていくのかを話し合うべきです。でもここで問題をややこしくするのは、セックス観のほとんどが、自分の快楽や悦びだけを前提としているのではなく、相手の快楽や悦びをも無意識に内包しながら成り立っているところです。ここが難しいところです。
彼は、様々な刺激的なプレイをすることを楽しんでいます。そこに快楽を感じています。と同時に、あなたも同じ感覚だと思っています。
自分がこんだけ楽しく気持ちいいんだから、当然あなたも楽しんでいるし気持ちよくなっているだろうと思っているのです。困りますよね。これはどういうことかというと、相手との親しさが増したり、好きという気持ちが強くなるほど、相手を自分の延長線上で考えます。相手と自分の区別がなくなるということです。
相手と自分を区別するというのはすごく大切なことなんです。でも、親しき人との間に感じる一体感が幸せにつながることが多い人間は、区別を忘れたくなるのです。だって忘れないと、1つになる最高の瞬間にたどり着けないからです。特に恋愛経験や性経験が少ないほど区別を忘れていきます。何だったら、運命という言葉を用いて、2人の間には初めから区別がなかったんだとすら考え出します。