つきあって10ヶ月ほどたち、ユミさんが30歳の誕生日を迎えたとき、彼女は彼に、近い将来、結婚しようとプロポーズした。
「音楽を辞める必要はない。私は何の夢も抱けずに大人になったのが悔しかった。夢を持てばいいと言われても持てなかった。だからあなたの夢に私の夢を託したいと言いました。一緒に住んで節約すればあなたももっと音楽にお金をつぎ込めるでしょ。勉強しながらデビューできるチャンスをつかんで、と」
彼は涙を流して喜んだという。ユミさんは彼を応援したいと思い、つてを頼って音楽業界の関係者に彼を紹介したり、新たなライブハウスに出演交渉をしたりとマネージャーのような役割を担った。ユミさんの情熱に負けて、彼のバンドが出演を許されたライブハウスもある。
そしてふたりは結婚。ユミさんは彼と出会う前にすでにマンションを購入していた。ひとりで住むことを前提にしていたので広くはないが、2LDKなのでふたりで住んでも問題はない。
彼は彼女の自宅に引っ越してきて婚姻届を出した。ところが結婚したとたん、彼女は違和感を覚えるようになった。
「彼が変わったのか私が変わったのか……。もちろん私は彼に夢を追いかけてほしいと言いました。でも結婚して一緒に住んでみたら、彼のだらしなさみたいなものが見えてきたんです。音楽が好きと言いながらそれほど努力している様子は見えない。私が苦労してとってきたライブハウスの仕事も、『あんなところには出たくない』と直前に言い出したりして。
しかも彼は結婚後、バンドを解散しました。ひとりでベースの仕事をしたいと言うんだけど、ますます間口が狭(せば)まったような気がするんですよね」
ユミさんがマネージャー的なことをするのも、彼は嫌がるようになった。恋人同士のときはいいが、まるで妻に頼って生きている情けない夫のように見えるからやめてほしいと言うのだ。
「だって実際、私に頼って生きてるようなものじゃない、と思わず言ってしまったんです。彼、傷ついたんでしょうね、3日くらい帰ってこなかった」
彼には彼のプライドがあるのだろう。だがユミさんから見ると、「努力が足りないとしか思えなかった」そうだ。
「実際、プロの方に聞くと彼のベース技術はすごいものがあるそうなんです。だけどなんというのか、音楽への情熱や執念が足りない、と。どうしてもプロになりたい、どうしても音楽の世界で生きていきたいという気持ちが足りない。それは私が甘やかしているからではないかとも言われました」
自分の夢を託したのに、チャンスがあってもものにしようとしない彼に、ユミさんは少しずつイライラするようになっていった。