結納を兼ねた簡単な食事会を日本で行い、谷口さんは葉月さんを駐在先である東南アジアの某国に呼び寄せた。日本の大企業の工場があるため、数千人規模の日本人コミュニティができている、同国屈指の主要都市である。
葉月さんは現地で2人の女の子を出産。谷口さんにとって待望のわが子である。子供好きの谷口さんは、娘ふたりをうんとかわいがり、積極的に育児をした。病院への定期通院には、毎回欠かさず会社を中抜けして同行したという。ただ、葉月さんのメンタルは不安定なままだった。

「
相変わらずの病み体質でしたので、すぐにブチ切れて物を投げたり、大声で怒鳴ったり、嗚咽したりが日常茶飯事でしたが、受け止めました。妊娠と出産でホルモンバランスが相当崩れていたでしょうし、周りの人に聞いても産後は皆同じような経験をしていましたから。自分の妻だけがそうなのではないのだし、と自分を納得させていました。
それよりも、こんなバツイチ男なんかと結婚して、単身海外まで来てくれたことが、僕はすごく嬉しかったんですよ。彼女は英語が話せないし、慣れない海外でストレスをそうとう溜めていたはずですから、荒れて当然です。一方の僕は、壮絶な離婚を乗り越えた、器のでかい男なんだから、どんとこい、受け止めてやるさと。だから駐在先での4年間は、今までの人生で一番幸せだったと言ってもいい」
ただ、現地での生活ぶりを聞くと、不自然さも際立つ。
「
葉月は僕のカードで毎月40万円ほど使っていました。家賃は会社もちだったし、光熱費、外食費、幼稚園代などは僕が別途払っていたので、葉月がカードで使うのは、毎日の食費と、葉月個人の買い物代くらいのはずなんですが……。現地では食材が日本より安いので、食費はどれだけかかっても、いいとこ6、7万円。で、
毎日Amazonから葉月宛ての荷物が2、3箱届くんです」
驚くべきことに、谷口さんは葉月さんを一切とがめなかった。Amazonで何を買っていたかも聞かなかったという。
「住居費がかからないし、駐在手当も出ていましたから、収入にはかなり余裕があったんです。それに僕、葉月に対しては、バツのついた男と結婚して単身海外まで来てくれたという恩義がありましたから、強くは言えませんでした」
しかしこれは、月々のローンを分担しなくなった前妻の明子さんに、一言も苦言を呈しなかった状況と、まるっきり同じではないか。その理由もまったく同じだ。
「
自分が小さい男だと思われたくなかったから、です」
4年の駐在期間が過ぎ、谷口さんの次の勤務地が東京本社に決まった。ただ、駐在中に海外からリモートで東京の物件を探すのは難しいと判断した谷口さんは、葉月さんと幼い娘2人を先に帰国させ、関西の某県庁所在地にある葉月さんの実家ですごさせることにする。
谷口さんはその間に、駐在先での残務処理と物件の引き払いを済ませて帰国。東京でウィークリーマンションに滞在して通勤しながら、新居探しをすることに決めた。
葉月さんの新居に対するリクエストは、「とにかく広いところ」。駐在先の住まいが200平米もある家だったので、狭々しい家は嫌だというのだ。谷口さんは不動産屋行脚の末、都内におあつらえ向きのマンションを見つけた。ファミリータイプの3LDKだ。
谷口さんは、葉月さんに物件を見てもらおうと、連絡を入れる。葉月さんが帰国してから、約1ヶ月後のこと。しかし、信じられない返事が返ってきた。
「
東京には行きません。あなたとはやっていけない」
谷口さんは混乱した。何がなんだかわからない。

「最初は、一時的な精神不安によるものだと思いました。だけど、どれだけ話しあいをさせてくれと言っても、『私に話すことはありません』を繰り返すばかり。どうにかこうにか理由を聞き出すと、
あなたにモラハラを働かれたと言われました。カネに細かい、自由に使わせてくれないと」
毎月40万円も自由に使っておいて、一体どういうことなのか。
「海外駐在中、何ヶ月かに1度、葉月の機嫌のいいタイミングを狙って、『あれ?今月けっこう使っちゃったのかなあ?』って、猫なで声で言ったりすることはありましたよ。葉月はスルーでしたし、そのときには特に反発していませんでしたが……。それがいつの間にか、葉月の中で『めちゃくちゃ詰められた』ことに脳内変換されていたんです」