一人で考えているときは非常に悩ましく、社会から逸脱(いつだつ)したどうしようもない人間のように感じていたのに、こうして気持ちを外に吐き出してしまうと急にやはり考えすぎではないかと思えてきました。
そして、最後に「これまで一人で仕事をしてきたあなたは、本当にカッコイイと思います」と心理士さんが言ってくれたときには、今までになくじんわり誇らしい気持ちが芽生えました。どうやら誰にも話せないまま一人で思い詰めて、自分を否定して虐(いじ)めてばかりいたようです。
その後も1週間に1度、家族のことや子どもの頃のこと、コンプレックスに感じてきたことなど、時々顔を出して私を苦しめるさまざまな問題をゆっくりじっくりと話し、退院までに計8回のカウンセリングを受けました。心理士さんは話を遮ることなく、ただ私の言葉を引き出し、自分で自分の気持ちを整理できるように誘導してくれました。
こうして気が付いたのは、頭をもたげていた不安は私の生を揺るがすほどのものではないということ。
これまでずっと、“社会に認められる=相応の報酬を得る”ために、仕事を間断なくし続けることで不安を拭(ぬぐ)うしかありませんでした。何もせず、何も生み出さない時間が怖かったのです。おかげで毎日余裕がなく、自分をいつも追い詰めながら日々を送っていました。
でも、社会に認められないと生きていけないなんて、本当にそんなことがあるのでしょうか(確かに世間には相手をあれこれ評価したがる人もいますが)。
そんな実体のないうやむやなものに縛られる必要はなく、もう少し肩の力を抜いて毎日を楽しんでいいのではないか。これまで生きてきた自分に自信を持って、今をもっと楽に生きていいのではないか。そういう風に思えてきたのです。
目標は、日々を安心して過ごすこと。2ヶ月の入院を経て、今は仕事をしない時間を意識的に設け、そのときに感じる落ち着かない心持ちと闘っています。
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<文/カンザキルリ子>