死にたい人に思うのは「僕たちはある意味一緒かもしれない」
その日の会話の最後、彼と、自殺についての話題になった。私が普段から自殺について発信していることを知ってくれていた山口さんが、私の記事について質問してくれたのがきっかけだった。
ひと通り質問に答えたあと、私は彼に、こう聞いた。
「山口さんからすると、腹が立ったりはしませんか? 生きられるのに、生きたくない人がいるという事実に」
言葉を選んでようやく言ったその言葉に、彼は優しい顔をして、答えた。
「生きたいともがく人間が、死にたいと言う人間について思うことがあるとするなら、僕たちはある意味一緒なのかもしれない、ということです。僕自身も自殺を考えていた時期がありました。
ですから、自殺志願者の方に『生きたくても生きられないやつがいるのに』と思ったことはありません。希死念慮というのは脳という臓器の病であると考えているので、闘病している者としては、どんな病であれそれを見下すようなことはしません。病気とか病気じゃないとか関係なく、みんな、戦っているんだと思います。生きたいと死にたいの狭間というか、そういう場所で」
山口雄也さんのTwitter(@Yuya__Yamaguchi)では今もご両親が更新を続ける
誰もが、それぞれの人生で戦っている。その重さは他人にははかれないし、評価されるものでも、するものでもないのだと思う。
「生きたいと思いながら生きるのか、死にたいと思いながら生きるのか、そのどちらが楽かと問われれば、まず間違いなく万人が前者を選ぶことだろう。相反する感情の中で心が押し潰される痛みと哀しみというものが、どれほど筆舌に尽くし難いかなんて、わざわざ書いて説明しなくても分かるし、僕もそんなものについて身を削って書きたくはない。
しかしながら逆に、もっと生きたいと思いながら死ぬのか、もう死にたい、死んでもいいと思いながら死ぬのか、そのどちらかを選ばなければならないのだとしたなら、誰しもがきっと深く悩むことだろう。前者は相反する痛みの中にあり、後者は相反しないまた別の痛みの中にある。死ぬことが決めつけられてしまったとき、一体どちらが楽なのか、僕はそのことばかりをずっと考えて今日も生きている。まもなく来たるべき、その日のために」
(山口雄也さんのブログ「
ヨシナシゴトの捌け口」より、「グッドバイ」から引用)
彼の言葉を書き起こしながら、彼の書いた文章を読みながら、今私たちにできることは、自分の苦しさを、言葉にすることなのかもしれない。そして誰かが口にした苦しさに、ただ寄り添うことなのかもしれない。
そんなことを考えた。
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<前編>23歳で他界した京大院生が明かした「最初に死にたいと思ったときのこと」|山口雄也×yuzuka
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<取材・文/yuzuka>
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