米津玄師は失速?「くだらない」を連発する31歳の壁
つまり、米津玄師の作品には失点がないのです。器用な手先が、ビジョンを薄めてしまうと言えばいいでしょうか。仕事だと考えれば申し分ない長所ではあっても、人々に新しい視点や異なる世界観を提示するタスクを担う創作においては、致命的な欠陥なのです。
そう考えると、物足りなさを感じた人たちの声は、ある意味で本質を突いています。ネタ切れとか枯渇では済まされない、もう少し根の深い問題を示唆しているように思うのです。
たとえば、“どれも同じ曲に聞こえる”問題。これはそのとおりで、米津玄師は短調の作曲家です。短調とは、一般的に悲しかったり、沈鬱な感情を表現するのに適した音階だと言われているものです。これが、米津玄師という作家の内省的な感性を際立たせていると言っても過言ではないでしょう。
代表曲の「Lemon」、「Flamingo」、「感電」などは、その最たる例。また、「パプリカ」(Foorin)や、「まちがいさがし」(菅田将暉)などの長調の曲でも、歌詞の文末に向かってマイナーコードに収束していく展開をフックにしている点は見逃せません。
どの曲にも通底しているのが、物憂げな短調の調べなのです。
ただし、そこには落とし穴もある。イギリスのソングライター、スティングも言うように、短調でいいメロディを書くことは、比較的簡単なことだからです。長調よりもマジメな印象を与えやすいことから、音楽に真実味を帯びさせるために、つい使いがちになってしまうというわけです。
一連の米津作品に接して感じることは、この深刻さのマンネリです。どの楽曲も、常に等しく感傷的であるように聞こえてしまう。
米津自身も、2018年12月15日にブログでこう書いていました。
<何かを変えなければいけないのはわかっているんだけど、その原因を見定めるための教養と体力が足りてない。こういうのを俗にスランプと呼ぶんでしょう。>