実際、米津玄師は優れた作曲家です。“どれも同じ曲に聞こえる”という評価は、他ならぬ職業人としての技術の確かさの証明でもある。“くだらない”にたどり着いた内省は、作詞家として真摯にモチーフを追求してきたことを示している。
皮肉なのは、そうすればするほどに高性能な歯車として地位を確立できてしまうことなのですね。
いい音楽を作ることと、人生における解決策のようなものを提示することはイコールで結ばれないはずなのに、なぜかそれが可能なような気がしてしまう。そのふたつをつなげる曖昧な言葉こそが、“才能”というやつなのです。
だとすれば、「POP SONG」での破裂寸前の自我は、“才能”を過度に持ち上げられつづけたことによって肥大したと言えるのかもしれません。
このままの作風を貫けば、早晩行き止まりにぶち当たり、八方塞がりになってしまうでしょう。というわけで、ここはひとつ、心を鬼にして言わせていただきます。
それ、もうつまんねえぞ。
<文/音楽批評・石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter:
@TakayukiIshigu4