
ONE PIECE FILM RED公式サイトより
それ以外でも、ウタはその不憫な振る舞いのために、とても記憶に残るキャラクターだ。例えば、「でた!負け惜しみ~!」というルフィへの可愛らしくもある「なじり」は、どんどん切ない印象へと転換して行ったりもする。
現実の世界で誰かが傷つくと必死で介抱する様は、ウタが自身を大量虐殺者だという罪を背負い込んだ悲劇を相対的に際立たせていたりもしていた。すべての理想を叶えるかのような存在かと思いきや、ここまでのかわいそうなキャラクターだったことに衝撃を受けた夢女子も少なくはないだろう。
だが、そのような悲劇のヒロインだからこそ、キャラクターが彼女のために戦ってくれるというのも、きっと夢女子にはたまらない展開だろう。例えば、ウタの育ての親であるゴードンが「あの子を救ってやってくれ!」と願い、ルフィが原作の「アーロンパーク編」を連想させる「当たり前だろ!」という言葉と共に戦い始めるシーンは感動的だ。
そして、終盤では海軍に囲まれるものの、シャンクスはウタを抱き抱えながら「ウタは俺の娘だ。俺たちの大事な家族だ。それを奪おうってんなら……死ぬ気で来い!」と言ってくれるのだ。シャンクスの娘になりたい夢女子の魂がおそらく天に召されかけたことだろう。
理由5:『ワンピース』という巨大な作品に遺したもの
ウタがこの物語で「遺した」ものがある、ということも重要だ。それは、エンドロール中の数々の画で表現される、「ウタの歌はこれからも人を幸せにする」ことにもある。さらに、今後のルフィにも影響を与えるかもしれない、あるいはルフィの海賊王になるという夢の「重さ」を思い知らされるところもあったのだから。
例えば、ウタはルフィに直接「この麦わら帽が、もっと似合う男になるんだぞ」と言う。その麦わら帽はもともとシャンクスから受け継いだものであり、さらにウタが(自分と同じくシャンクスを心から慕っていた)ルフィに「自分の想いも継がせる」ような「責任」が新たに生まれたようにも思えるのだ。
最後のルフィのお馴染みのセリフ「海賊王に、俺はなる!」は、その言い方がさすがに情緒に欠けたものだと思ってしまったが、その直前にサニー号の頭を叩きながら話しかけていても何も反応がない(ウタの夢の中でサニー号はマスコットキャラ的な存在として歩き回っていた)という描写もあり、ウタがいない寂しさをごまかす「虚勢」のようにも思えるし、死んだウタの意志を継いだ上での改めての決意表明とみることもできるだろう。
ルフィが最終的に目指す海賊王=新時代が具体的に何であるかは、まだはっきりとはしない。それはウタ本人や、そのファンのみんなを苦しめる原因でもあった「狂乱の大海賊時代」を終わらせるものかもしれないし、それ以上の意味が込められているのかもしれない。
いずれにせよ、今回の『ONE PIECE FILM RED』のおけるウタが、『ワンピース』の物語の結末となんらかの相互作用を与える可能性は高いだろう。原作の最終回を読み終わった時、ウタのことをまた思い出すのかもしれない。
そういえば、ウタの能力は「夢の世界ではほぼなんでもできる」というものでもあった。ウタは妄想でなんでも可能にする夢女子そのものを、メタフィクション的に捉えた存在だった……というのは、さすがに考えすぎだろうか(考えすぎ)。
とにかく、劇場版1作とテレビ放送された連動エピソードのみで、『ワンピース』という巨大な作品において、ここまで忘れることのできない重要な存在になったウタは、やはり「“公式が最大手”な最強の夢女子キャラクター」だろう。
<文/ヒナタカ>
ヒナタカ
WEB媒体「All About ニュース」「ねとらぼ」「CINEMAS+」、紙媒体『月刊総務』などで記事を執筆中の映画ライター。Xアカウント:
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