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「大切な人」を書くことの怖さと甘え/村井理子×こだま対談<後編>

 作家のこだまさんと村井理子さんは、ままならない家族関係について、そのやるせなさを超えてわずかな希望を見出すエッセイを書き、多くの読者を獲得してきました。従来の家族観を更新させるその文章が共感を得る一方で、ふたりは身内について書くことの苦悩や欲望とどのように向き合っているのでしょうか。

村井理子さん(左)とこだまさん。ともに家族について綴る作家であり、互いの著書の読者でもある

 村井さんは「ここまで書いてよかったのか」と常に自問自答しながらエッセイを書いていると言います。一方、家族に執筆活動を伏せているこだまさんは「バレたら勘当」も覚悟しているそうです。立場は違えど、お互いに悩みながら、家族のことを書くふたりは今回初対面。しかし、これまでもお互いのエッセイをを読みながら、同志として支え合っていたそうです。 【対談前半】⇒親を「しょうがない」と割り切ることで親子関係が変わる/村井理子×こだま対談<前編>

お互いに書き続けているから安心できる

――以前、村井さんが「こだまさんが書いているから私も書き続けられるところがある」とおっしゃられていました。 村井:そうですね。こだまさんのように日常生活の細かなことを書き続ける人がいるのは嬉しいというか、「私もこのまま書き続けて大丈夫だろう」という安心感につながるんです。私にとって書くのは怖いことなので、同じように書いてる人がいて、それを読めるだけで嬉しい。 こだま:ありがとうございます。私も村井さんが家族について書いたものを読んで、私ももっと家族のことを書き残そうって思ったんです。お互いにそう思っていたんだと知って、今びっくりしました。 村井:エッセイって、自分の大切な人たちのことをここまで書いてよかったのかと常に自問自答するジャンルなので、こだまさんも書いていると思えることが、心の支えになっています。エッセイってどこまで情報を出すかのさじ加減もすごくギリギリのところでやるじゃないですか。こだまさんだって、ペンネームとはいえ、身バレしないように決定的な情報は避けながら、面白さを保つためにギリギリまで攻めてるはずで。 こだま:そうですね。私もいつか家族にバレて絶縁されるんじゃないかと覚悟しながら書いています。 村井:私もこだまさんも、なんで書き続けるのか聞かれても自分でもよくわからない。ただ「書きたい」という抑えきれない欲望があって、その欲望に飲み込まれないように、周りの人たちに配慮しながら書き続けるしかないですよね。

落ち込んだときにユーモアを一度手放した

――こだまさんが新刊『ずっと、おしまいの地』で、「力づくで笑いに寄せる癖を改めた」と書かれていたことに驚きました。 こだま:当時は心療内科に通ったりして、自分の気持ちが上向かない日が多くて、そうすると楽しいことも書けなかったんです。それで日常を淡々と書くようにしました。やっぱり自分の心が健康じゃないと、楽しいことって思いつかないんです。それでも書いていくために、一旦ユーモアを手放しました。 村井:やっぱり精神面で落ちてるときは、なかなか書けないですよね。 こだま:そうですね。自分が元気になってはじめて、落ち込んでいた日々のことをおもしろおかしく書こうって気持ちが出てくる。渦中にいるときは沈んだ文章になりがちで、ユーモアが湧いてこず、暗い文章が多くなりました。でも『ずっと、おしまいの地』の後半は自分的には派手なエッセイが並んでいます。気持ちの変化に合わせて、浮き沈みしている本になったかもしれません。 ――こだまさんにとって、ユーモアは毎回ひねり出すイメージですか? こだま:改めてそこを聞かれるのは、すごく恥ずかしいですが……。ひねり出すというよりは、手癖に近いです。ブログ時代の癖。文章の構成も手癖が多くて、「ここで畳みかけよう」みたいなのも、自分で読み返すと全部わかってしまうんですよ。 村井:文章の落とし方とか「あぁ、きたきた!」って、自分ではわかっちゃうんですよね(笑)。 こだま:はい。連載時は2か月に1回のペースだったんで、締切のときには以前書いたものを忘れてるんです。だから本にまとめてはじめて、「私、いつも同じ書き方してる」って気づいて恥ずかしくなります。
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