――まりげさん家族が住む家にお母さんを呼ぶ形で同居を始めましたが、お母さんの病気と向き合う中で大変だったのはどんなことでしたか。
まりげさん(以下、まりげ)「やはり『自殺未遂をした』という事実が私にとって大きなトラウマになってしまいました。母の異変を見逃さないようにしなければと、私自身も常に緊張状態でずっと気が抜けなかったんです。
夜中に母が起きた音がするだけでも『何か突拍子もないことをするのでは』とドキドキし、寝息が聞こえないと『眠れずにいるんじゃないか』と不安になりました。そんな毎日が続くことで自分自身も眠りの浅い日が続いてしまい、めまいや感情の起伏が激しくなるなどの不調が出てきました」

――漫画の中にも「壊れていく私」という章がありました。
まりげ「そうですね。自分の不調は貧血のせいだと思って病院に行ったら、自律神経の乱れからくるものだと診断されて抗不安薬を処方されました。気付いたら『私もやばいじゃん』という状況になっていたんです。でも、母が私の不調に気付いてしまったら、『自分のせいで娘や家族に負担がかかっている』と自分を責めてしまうと思いました。なので、母の前では元気に振る舞い、その裏で抗不安薬を飲むという生活が続きました」
――幼いお子さん3人を育てながらで大変な状況だったと思います。
まりげ「漫画にも描きましたが、
子どもたちがロープ状のものを使って遊んでいるときに『首に引っ掛けたら死んじゃうんだよ!!』と激しく怒ってしまったことがあります。
私が寝込んで一緒に遊べなかったり、感情の起伏が激しくなったりで、子どもにも負担がかかっていました。夫から『まりげがお母さんを大切に想う気持ちはよくわかるし、僕もお義母さんを助けたい気持ちは同じだけど、まりげにも子どもがいるんだよ』と言われてはっとしました」