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三浦瑠麗氏、東大時代のコンテスト受賞論文がヤバい理由。権力者への“おべんちゃら”ダラケ

「生き様」へのこだわり

 
安倍晋三元首相の国葬儀ではシースルーの喪服が話題だった三浦瑠麗氏

安倍晋三元首相の国葬儀ではシースルーの喪服が話題だった三浦瑠麗氏

 そういうわけで三浦氏の「生き様」へのこだわりはさらに加熱していきます。2項目目「国際貢献を取り巻く議論の特徴」と結論部分にも繰り返し登場し、特に2項目目でピークに達する。 <日本の国際貢献の隅々には、日本人の知恵と生き様が体現され、日本の理想を掲げられているべきである。> “てにをは”の使い方が怪しい部分もありますが、ワンセンテンスの中での“日本、日本人、日本”のサンドイッチには執念すら感じます。 

自分のことを“特別”だと勝手に自覚

   そして結論部。国際貢献の概念を塗り替える一文は衝撃的です。 <日本の国際貢献を考えるにあたって、我々日本人も、そろそろ他国に何を求められているかを中心に考えるのをやめ、日本は何を理想とし、その理想を実現するための戦略的な方法は何かを問うべきではないだろうか。>  相手の意向をうかがわず“戦略的に”理想を実現するって、それ侵略じゃん!? さらにこう続けます。
<日本の理想を掲げることは、他国に対して優越的な地位を主張したり、、威張ったりすることではない。むしろ、日本と言う類い稀な国に生まれた我々の、世界とアジアに対する特別の責任を自覚した覚悟の必要な姿勢である。>(原文ママ)  グーグルからも訂正をサジェストされていますが、ひとまず日本語の怪しい点は置いておきましょう。問題は全くつじつまが合っていないことです。 “他国に対して優越的な地位を主張しない”と言っているそばから、“日本と言う類い稀な国”や“世界とアジアに対する特別の責任”というフレーズが飛び出すジェットコースター的展開。自分のことを“類い稀(たぐいまれ)”と自負したり、“特別の責任”を負っていると自覚するのって、完全にマウントバトルじゃん。  おそらく書いている本人すら何を言っているかわからないのではないでしょうか。それなのになぜかいつも国粋主義みたいなものに帰着してしまう不思議。  思想信条の自由は当然のこととしても、論理的根拠を失っているのに頑(かたく)ななコンセプトだけは残っていて気味が悪いのですね。
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権力者への嗅覚の鋭さ。気持ちよくさせるワードがあらゆる箇所に
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