2の快楽の共有というのは、精液の持つ意味の〈❷快感絶頂の成果物〉に連動するものです。出た分量に比例して気持ちいいんじゃないか、という捉え方をAV的なファンタジーだと考える人もいます。実際は、精液が尿道を通っているときの射精感によって快楽が得られるので、尿道を通る時間が長ければ長いほど気持ちいい時間は長くなるので、射精時間の長さと気持ちよさは比例します。よって、〈量=時間=快感度〉というのは一理あります。ただ、他の男性の射精感を感じることは出来ませんので、各々が感じている快感が唯一であり最高です。

自分にとって最高の快楽の象徴であるものを受け渡すことで、快感を共有したと感じることができます。受け取る側の女性が「いっぱい出してー」と求めたり、「いっぱい出してくれてありがとう」と喜ぶ言葉には快感の共有がみてとれます。これは受け手である女性側の気持ち次第なところなので、今回の相談者の方にはピンとこないものでしょう。相談文を読む限りでは、男性の快感に共感している気配はありません。おそらくは奉仕やサービス精神からの行為ではないでしょうか。
3の汚すは、〈❸排泄物〉と〈❹男性性の象徴〉〈❺性行為の証〉が混ざっています。AVにおいて多くのニーズがある顔射というプレイを、自分の彼女や妻にする人は少数派です。自分の所有物である、もしくは大切な存在である人なので汚したくないのです。そもそも対等な関係性だと断られる可能性が高いから望みません。一方で、AV女優や風俗嬢、セフレは、性的な側面の人格しか認めない傾向にあるので、汚すというエゴイスティックなプレイができます。

これは別の側面から見ると、妻のパンチラには興奮しないけど、それ以外の女性のには「おおっ!」となるといったように、性的に所有していると思う人の性的価値は下がります。よって、興奮に繋がりにくいです。この理屈からいくと、汚したい対象は、自分のものではなく、かつ、性的に価値ある存在となります。性的価値は人それぞれなのですが、一般的には、若い、性的未熟、可愛いといった条件が当てはめられます。
では、汚す度合いが強まるのはどういった射精かというと、膣内や顔へのもので、口腔内はそこまで汚すといった意味合いは持ちません。もちろんこれは、セックスする関係性であることが大前提で、そうでない場合は、手でも、服でも、かけることで汚すという意味あいを帯びてきます。
このように、体内射精にはマーキング、快楽の共有、汚す、という3つの意味があるのですが、
精液を女性に飲んでほしいと思うかどうかは、男性がこの3つの意味をどのように学習してきたかということに左右されてきます。学習というより刷込みといった方がいいかもしれません。
言うまでもありませんが、精液を飲ませること自体に肉体的快感はないです。体に触れられるわけではないし、自分の体に何か変化が起こるわけでもない。ただ、そこに意味を見出すと快感、興奮が出てくる可能性があるわけです。AVの話で言えばゴックンというプレイになりますが、精液を喜んで飲んでくれているのか、嫌がって飲んでいるのか、無理やり命令して飲ませるのか、でも意味合いが変わってきますよね。