何かを残さなければ、この世に生まれてきた意味はないのか
本パラレルワールドでも忠臣蔵事件が発生。綱吉によって赤穂浪士たちに切腹が命ぜられた。さらに評判ダダ下がりの綱吉に、右衛門佐が「こたびこそ、生類憐みの御触れを取り下げてみてはいかがでしょうか」と進言すると、綱吉は烈火のごとき怒りを見せた。かつての野心に燃えたそれとは違う真摯な進言であり、綱吉もそれをよく分かっている。だからこそ、「図に乗るなよ!」のひと言で右衛門佐を圧倒したかつてとは、明らかに違う動揺を露わにした。

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再び、右衛門佐との時間。「父上だけが欲得抜きで私を慈しんでくれた」と語る綱吉に「慈しみとすり替え、すがっている上様が哀れでなりません」と右衛門佐が突く。すでに体では分かっていただろう綱吉に、右衛門佐が言葉として表に出し、残酷な、しかし厳然たる事実を認識させた。
そんな折、綱吉が命を狙われる。刺客に「国中みんなが貴様の死を願うておるわ」と言葉を吐かれた綱吉は、「
何一つ後世に残せなかった。私はなんのために生まれてきたのか」と涙を流す。ここで綱吉に右衛門佐がかけた「生きなさい」は、「生きてください」でもあったのだろう。そして「生きるということは、ただ子孫を残し、家の血を繋いでいくことだけではありますまい」との言葉に「いやじゃ!」と綱吉が答えたとき、右衛門佐の瞳からも、大粒の涙がこぼれていた。綱吉、否、徳子も右衛門佐もすべてを裸にして、さらけ出していた。

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翌朝、右衛門佐に優しく顔を撫でられる徳子は無垢な少女のようだった。素顔の徳子。右衛門佐の「
私は上様に恋をしておりましたよ。ひと目お見掛けしたときから」の言葉は、超ド級の告白であり(この文語をさらりと言えってしまえる山本の巧さ!)、続く「
私の思いを代わりに言ってもらっておりました」にも失神者が続出しただろうと想像できるが、徳子の幸せは「恋をもらった」ことより、「恋をした」ことだったのではないだろうか。そして徳子もまた、あの「孟子か」「今度は論語か」の会話の瞬間から、すでに右衛門佐に恋していたのだ。
「なんという幸せか」。その瞬間、ふたりは堕ちたのではなく、ともに自由へと昇華した。
翼を得た徳子は、綱吉として、世継ぎを桂昌院が反対していた甲府の綱豊と決めた。すがる桂昌院の手にかかり落ちる打掛のシーンは、原作屈指の名シーンである。原作は、漫画ならではの、重力を感じさせない、ふわり舞うような打掛と、解放された徳子の軽やかさが素晴らしい。対して実写は、「
こんなにも重いものをずっと身に着けてきたのか」と思える、そして、そこからの解放を実感させる、こちらも素晴らしいショットとなった。
さらに続く徳子のアップの輝き。誠に清らかだったが、原作を読んでいる身としては、あまりに美しいからこそ、待ち受ける展開がよぎって号泣した。さらに、このくだりの締めが徳子の背中のショットというのもまたすごい演出であった。