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横浜流星「もしやりたくなったら俳優を辞める」少年時代からの友の前で明かした、真摯なリスペクトの対象とは

なぜ俳優はボクシング映画で輝くのか。誤魔化(ごまか)しが効かないから。嘘がつけないから。
(C)2023映画「春に散る」製作委員会

(C)2023映画「春に散る」製作委員会

『春に散る』(沢木耕太郎原作、瀬々敬久監督)に佐藤浩市とダブル主演した横浜流星の背中――肩甲骨(けんこうこつ)のたくましき盛り上がりには嘘がない。彼がこれまでどう生きてきたかが歴然とその身体に刻まれている。

横浜流星の身体表現はやってもやられても饒舌だ

『春に散る』は、不公平な判定負けにより鬱屈とした日々を過ごしていた若きボクサー・黒木翔吾(横浜)が、偶然、飲み屋で出会った、元ボクサーの広岡仁一(佐藤)の腕に惚れ込み、ボクシングを教えてほしいと頼み込むところからはじまる。 実は、広岡もかつて夢をもってアメリカに渡ったものの判定負けして、道を断念したという苦い過去を持っていた。広岡に鍛えられて、翔吾は世界チャンピオンを目指す。 (C)2023映画「春に散る」製作委員会大きな挫折を体験した青年と中年、ふたりの再生の物語は、全編、ボクシングのシーンだらけ。 ボクシングものによくある、状況をセリフで臨場感たっぷりに説明する(実際のスポーツ中継の解説者みたいなもの)ところが少なく、ボクシングはボクシングだけ見せているが、不思議と説明がなくても画面に見入ってしまう。
(C)2023映画「春に散る」製作委員会

(C)2023映画「春に散る」製作委員会

試合のうえでたったひとつの大事なことは、あらかじめ語られていて、それだけ記憶していれば、翔吾が何を目指しているかわかるというシンプルさ。それができたのは、俳優の身体がちゃんと、そういうふうに見えるからだろう。 翔吾に立ちふさがるライバル役の窪田正孝や坂東龍汰も、過去にボクシングものの作品を経験しているだけあって、堂々と横浜流星に猛攻を仕掛けていく。受けて立つ横浜の身体表現は、やっても、やられても饒舌(じょうぜつ)だ。

嘘の見事さはエンタメの醍醐味である

ボクサー役を演じるにあたり横浜は、『百円の恋』(14年)、『あゝ、荒野』(17年)、『BLUE/ブルー』(21年)、『ケイコ 目を澄ませて』(22年)などの数々の名作ボクシング映画に関わった松浦慎一郎の指導を受けた。ほかに、ボクシングアドバイザーとして、名門・帝拳ジムの田中繊大トレーナーと、プロボクシング元WBAスーパーフェザー級王者の内山高志氏の指導も仰いでいる。
ただ、いくら一生懸命練習したとしても、実物の選手がボクシングと共に生きてきた時間を俳優が埋めることは難しい。そこが、長い時間をかけて蓄積した技能を描く作品の課題である。リアリティがないと観客はたちまちそっぽを向く。いや、そもそもフィクションなのだから、それっぽく見えればいいという考え方もある。 すると要点は、どこまでそれっぽく見せるかになり、そのとき必要になるのは演技や演出の技能である。悪く言えば、誤魔化しや嘘の巧さということになるし、良く言えば、演技や演出とは嘘を正々堂々、歓迎されるものにすることである。
「講釈師、見てきたような嘘をつき」という言葉があるように、嘘の見事さはエンタメの醍醐味である。現場では嘘は悪いことだが、エンタメでは嘘の巧さが求められる。その技能が拙(つたな)いと、バレバレの嘘になって、フィクションは面白くなくなる。
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『まつもtoなかい』で那須川天心のミット打ちを見る横浜の目が
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