父親だけが帰省したくない背景にあるわけではない。筆者には2つ上の兄がおり、幼稚園に通っているまだまだ小さい姪っ子がいる。物心がある程度ついている様子の姪っ子は、もうしっかり会話もできる。

基本的に帰省した場合、筆者、両親、兄、兄のパートナー、姪っ子というメンバーになる。当然、大人の割合が多く、大人同士の会話が9割以上を占める。ただ、姪っ子にも気を使って筆者や両親も時折姪っ子に話を振る。とはいえ、姪っ子は「話すより身体を動かしたい」と思っており、
じっと座ってダラダラ話すことは子どもにとって苦行でしかない。
姪っ子はとてもよくできた子どもだ。我々のつまらない話を我慢しながら聞き、じっと大人しく座って何かを食べている。それでも、
じっとすることにストレスを抱えながら、必死に我慢している姿を見ていると心底しんどくなる。姪っ子の気持ちになって「大人の都合で開催された居心地の悪い空間に来させられて可愛そう」と思ってしまう。
一応、姪っ子と別の部屋で一緒に遊んでみたが、体力的に30分が限界。結局姪っ子の不満解消には貢献できなかった。
姪っ子の本音を聞いたことはないため、実は本人はとても楽しんでいるのかもしれない。なぜ勝手に姪っ子に同情しているのかというと、
筆者自身が親戚の集まりの時に、居心地の悪さを常に感じていることが大きい。先述した通り、父親は家族大好き人間であり、幼少期から事あるごとに親戚の集まりに参加させられた。
現在のような小規模ではなく、少年時代の集まりは20人くらい集まる大規模なもの。ただ、ほとんどの従兄弟は10歳以上も年上であり、同世代の親戚は実兄のみ。部屋の隅で1人でゲームボーイをやって気を紛らわしたかったが、両親からゲームをやることは認められず、その場にいることを強要された。
とはいえ、大人の話に入っていけるわけもない。子供好きの従兄弟もずっと筆者に構ってくれるわけでもない。親戚から話を振られても、「今いくつになったの?」というテンプレートの質問ばかり。親戚は酔っぱらっているため、同じ親戚から何度も年齢を聞かれることもしばしば。