――星野夫妻にカメラを向けようと思ったのはいつ頃ですか?
藤澤:実は、最初は嫌でした。この人(馬場)がどうしても撮りたいって言うものだから……。
馬場:私も二人が元気な時はドキュメンタリーを撮る発想はまったくありませんでした。あれだけお酒を飲んでいても身体は丈夫で元気だし、子どもがいて、孫がいて、孫の自慢はする。何の遜色ない幸せな家庭をドキュメンタリーで撮っても面白くないもんね。
藤澤:うんうん。
馬場:だから、最初は撮影したいとは思わなかったんですよ。ところが、忘れもしない、2020年3月2日。「民子さん、お寿司つけたらから食べにこない?今日、私ら、病院に行くんだよ」と弥生さんに言われました。私たちは、がん患者がよく飲むにんじんジュースを作るためのジューサーを自転車の荷台にくくりつけて、持って行きました。
病院から帰ってくると、お寿司ができていました。すると稔さんが、みんなの前で、「実は、今日余命宣告を受けたんだ」と報告しました。抗がん剤を使わなければ、3~6ヶ月しかもたない。抗がん剤を使っても2年ももたない。そして稔さんは「僕は抗がん剤を使わないで、治していくんだ」とも宣言したんです。
それを見たとき、私たちはカメラもスマホも何にも持っておらず、けれどこれはこの瞬間を撮らなきゃいけないんだと思いました。でもそれから弥生さんと稔さんが被写体になることを決心するまで3週間かかってしまい、すぐに撮影を始められませんでした。稔さんを撮ったのは、実質、2ヶ月くらい。
藤澤:私たちが所有していたカメラが壊れてしまったこともあり、スマートフォンで撮ることにしました。Galaxyという機種です。声も綺麗に入るし、色もいい。通常のカメラよりよかったです。
最近は劇場公開作品でも一部スマホで撮影しているものがありますよね。すると稔さんは、「ちゃんとしたカメラで撮ってよ」とがっかりしていました。
――撮影を始めると、星野夫妻がドキュメンタリー映画の被写体に変わってくるわけですが、とは言え40年来の友人という事実もあります。カメラのレンズを通じてどのように見つめようと思いましたか?
馬場:弥生さんは度胸があるんです。一度OKしたら、後はいいよと。稔さんはスマートフォンでの撮影にがっかりしてはいましたが、稔さんの体力にとっては通常のカメラより圧がなかったと思います。
藤澤:撮影を開始した当初は、劇場公開作品ではなく、稔さんの生徒さんに見せる範囲で撮っていました。
――映画として公開しようと思ったきっかけは?
馬場:それがいざ撮り始めると、着地点が見えず、いくら撮っても面白くないんです。なかったんです。弥生さんの方も多少NGがあり、何より女性問題がね……。