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“その筋の人”に恐喝されたことも…「はじめてのおつかい」を生んだ人気番組の元スタッフが明かす舞台ウラ

 気功家の夫・星野稔さん(73歳)とスペイン語翻訳家で社会活動家の妻・弥生さん(72歳)。健康そのものだったはずの夫が癌に冒され、妻との葛藤の日々が静かに浮き上がる。  夫婦生活、最後の3ヶ月を追ったドキュメンタリー映画『東京夫婦善哉』が、全国で順次公開されている。
藤澤勇夫監督と馬場民子プロデューサー

藤澤勇夫監督と馬場民子プロデューサー

 カメラを向けたのは、星野夫婦とは40年来の友人夫婦・藤澤勇夫監督と馬場民子プロデューサーだ。1995年に、制作会社ビックリ・バンを設立。夫婦で番組や作品を制作してきた。 『はじめてのおつかい』などの後発番組に影響を与えた、ドキュメントバラエティの元祖『追跡』(1988-1994・日本テレビ)など、数々のドキュメンタリー番組を演出してきた。  今回は前後編インタビューを行い、後編では『追跡』誕生秘話や当時のテレビ業界について聞いた。 【前編】⇒末期がんで余命宣告を受けた夫が「抗がん剤は使わず治す」と宣言。その選択に寄り添った妻の思いとは

日本テレビ『追跡』時代は

――藤澤監督と馬場さんが制作した日本テレビの『追跡』は、ドキュメントバラエティの元祖のような番組です。平日の5日間、19時から放送されていました。『はじめてのおつかい』や『ぶらり途中下車の旅』『大家族スペシャル』など今でも誰しもが知っている企画はこの番組から生まれたそうですね。革新的な企画はどのように誕生していたのでしょうか? 藤澤:それまではずっと映画の世界にいたので、まさかテレビの世界で仕事をすることになるとは思いませんでした。1988年に放送が開始された『追跡』の立役者は、現・日本テレビ顧問の佐藤孝吉さん。日テレの現場ディレクターで初めて役員にまで上った人です。 佐藤さんは『追跡』のコーナー企画として、その後単発番組として放送される『はじめてのおつかい』(1991年~)を作った人でもあります。あれだけ頭が切れる方は今のテレビ界にはいないのではないでしょうか。 ――佐藤さんにまつわる印象的なエピソードはありますか? 藤澤:『追跡』では制作統括の佐藤さんが番組のすべてを支配し、企画も直しも佐藤さんの指示がありました。 泣く子も黙る佐藤チェックというのがあり、試写室で徹底的にチェックされます。ナレーションの一語一句、映像のワンカットのすみずみまで観て「ここは違う!」の一言があると、我々は走らされるんです。現場の映像も「この角度から撮るのは素人だ」と言われたら、九州であろうが、北海道であろうが撮り直しに行かなきゃなりません。 馬場:前の日、巨人軍が負けるとチェックも厳しくなるので、いつも巨人が勝つように祈っていました。 藤澤:最初、制作プロダクション200社が追跡に企画を持ち込んだのですが、あまりにも佐藤チェックが厳しいので、すぐに100社ほどが逃げ出し、その後徐々に減り、最終的には30~40社ほどになったようです。 馬場:小柄な方ですが、背中にジェームスディーンが描かれた革ジャンをいつも着ていて、カッコいいのです。パイプをくゆらせ、恐ろしく勘が鋭い。 銀座でご主人が亡くなって、おばあちゃん二人がやっているラーメン屋さんを取材したとき、佐藤さんは「このおばあちゃんは本妻とお妾さんじゃないか」と一目で見抜きました。あとで聞いたら本当にそうでした。

「数字が取れないと思うけどやってごらん」

藤澤勇夫監督と馬場民子プロデューサー――その時代のテレビ業界ならではの雰囲気はありましたか? 馬場:そうですね、勢いがありました。当時、日テレはゴールデンタイムの夜7時台の視聴率が5%に届かず低迷していました。それを佐藤さんが平均12~13%まで持ち上げたのです。 藤澤:我々が手がけたもので、視聴率16%を記録した「渡し船」という作品があります。川を渡す船頭さんを撮影したものです。他のプロダクションには「数字を取らなきゃダメだ」と口を酸っぱく言っていましたが、なぜか我々には言いませんでした。この「渡し船」という企画も、「数字が取れないと思うけどやってごらん」とGOを出してくれました。
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『追跡』という番組は、遊び半分でもある
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【作品概要】
『東京夫婦善哉』
製作・配給:有限会社ビックリ・バン
配給協力:風狂映画舎
(C)有限会社ビックリ・バン
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