木梨憲武が一瞬の演技で見せた“芸人の意地”。余命モノをお涙ちょうだいにしない絶妙さ
エモくて慎ましやか
それはなぜか。この「たっ、(トゥフフ)」には自嘲とともに、結婚が叶ったときのほんとうに嬉しかった雅彦の感情が一点透視的に込められている。 ここまで結構な長さで昔話を語ったのだし、一番感極まるところは短い発声くらいでいい。 感極まる感情をあえて抑制した。その結果、思わず吹きだしたてしまった弾みの音と考えることもできる。 いずれにしろ、これだけエモーショナルなはずのキャラクターをエモくて慎ましやかに抑えられる木梨の名演には敬服する。 黒澤明監督による世界的名作映画『生きる』(1952年)は別格として、ここ10年くらいの日本映画やテレビドラマは、やたらと余命物ドラマが多い。 俳優たちは泣くところはただ泣くだけ。通り一遍で、お涙ちょうだいの演じ方ばかり。 でも木梨はそうしない。真の感動とは、エモーションを最低限にうまく抑制した先にだけ生まれるものだとわかっているから。 だからぼくらは、『春になったら』の木梨憲武を見て、ありがたい涙を流しながらエモくなることができるのだ。 <文/加賀谷健>


