――受けるということは、古厩作品の人々に共通することでしょうか?
古厩:見るという行為も受け身ですよね。映画を観るなど、受け身は楽しいものです。映画だと、客席の向こう側に光を出すものがあって、客席ではその光を受ける。夕日を浴びてる人が美しいように、受けてる人も美しい。
ここで重要なことが。受け手にとっての光源である夕日そのものは、光っていてカメラでは撮れないんです。だから光を浴びてる(受けてる)ほうを撮ることで、夕日の美しさを表現するんです。
フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが、「映画の真髄は何か」と聞かれて、「光のほうにキャメラを向けること」だと答えています。僕はこの言葉を光源と受け手との関係性だと解釈していますが、だから、受けるということにはものすごく映画的なことがあるんです。
――『のぼる小寺さん』では、まさに夕日の中でベンチに座る場面があって、どこからともなく映画的瞬間がやってくる感覚がありましたね。
古厩:あの日はうまくいきましたね(笑)。「こっちが西側で太陽が来ます」と照明技師と相談しながら、「明日、天気だから撮ろう」と現場で狙ってました。やはり狙わないと撮れないものですね。
――小池徹平さんが日本アカデミー賞新人賞を受賞した『ホームレス中学生』冒頭場面でも木漏れ日が印象的でした。主人公が校門前で会話していると頭上に木漏れ日が差す。そうかと思えば、さぁっと雲間に隠れて、木漏れ日が差さなくなる。木漏れ日の変化で小池さんの魅力を引き出していたかのかなと思いましたが。
古厩:よく気づきましたね。あの場面の演出について初めて指摘されました。びっくりです(笑)。あの木漏れ日、実際には木が立ってなくて、スタッフが葉っぱだけで木漏れ日を作っています。
――木漏れ日の場面が象徴するように爽やかな青春の瞬間にきらめていた小池さんが、今や『離婚しない男-サレ夫と悪嫁の騙し愛-』(テレビ朝日)で不倫ドラマに活路を見出しているという(笑)。
古厩:ドラマはまだ見ていないんですが、かなり強烈な演技だと方々から聞いています。
――『ホームレス中学生』での小池徹平さん(当時22歳)はどうでしたか?
古厩:2005年にウエンツ瑛士さんとの「WaT」でメジャーデビューし、ソロデビューも果たした直後の作品でした。俳優としてもどうやって地盤を固めていくかというタイミングだったと思います。
演じた役柄は中学生。けれど、小池くん自身はもう少年ではありませんでした。小池徹平くんにはめちゃめちゃハードなミッションでした。何をやったって「麒麟の田村とちゃうやんけ。しかも中坊ちゃうし」と言われてしまう何重苦というか……。
徹平くんに何て言おうかと思ったんですが、無理すんのやめよう、田村さんぽくとか、中坊っぽくとかやめて、ただ素直にやろうと言いました。すると徹平くんも「僕もそれでやろうと思ってます」と言いました。追い詰められた2人というか(笑)。あのとき共闘できると思えました。