「学校でパニックになると…」鳥居みゆきが明かす幼少期の“困りごと”
Eテレで放送中の子ども向け番組『でこぼこポン!』に出演中の鳥居みゆきさん。
Eテレの公式サイトにて「発達が気になる子を楽しくサポート!特別支援教育番組」と紹介されている同番組をきっかけに、2024年2月、発達障害の子どもたちへのサポートに関わる2つの資格を取得したのだそう。
資格取得までの日々について聞いた前編に続き、中編では鳥居さん自身が感じてきた「困りごと」や、幼少期のエピソードについて聞きました。
――資格の勉強をしていて、「自分にも当てはまる」と思うことがあったそうですね。
鳥居:(場面に応じた)声のボリュームが分からなかったり、文字がマス目に収まらなかったりとか、たくさんありました。診断されていないだけで私にも何らかの傾向があるし、「あの人だってこういうとこあったよ」ということもあって、「みんな何かしらあるじゃん」と思いました。
――子どもの頃から、「生きづらい」と感じることはありましたか?
鳥居:私は耳で聞いたことが全然覚えられないんです。昔から見るほうが得意で、試験でも「これは教科書の左の下から2行目に書いてあったぞ」と思い出したりしていました。人の名前も漢字で書いたものを見ないと、記憶がどこかに浮いていっちゃうんです。
中高生の時の英語のリスニングのテストでは、教室のスピーカーから流れる音声が全然聞き取れなくて「待って待って、もう1回やってください!」とパニックになっちゃってました。先生に「私聞き取れないんです」と言ったら分かってくれて、私だけ別の形式のテストに変えてくれたことがありました。
音にすごく敏感だったので、少し疲れていると、先生や同級生の声、外のカラスの鳴き声、道路の音とかが全部同じボリュームで聞こえてきて「もう無理!」という状態になることが多かったです。あと子どもの頃は米が食べられなくて、給食の時間に家からパンを持っていったりしていました。
――なぜ米が食べられなかったんですか?
鳥居:米粒を全部歯ですり潰さないといけないんじゃないか、「そうしないと丸飲みすることになっちゃう」という怖さを感じていました。
――そういうとき、周りの人はどんな対応をしていたのですか?
鳥居:先生はそれを治せとは言わなかったです。学校でパニックになると、自分の机の中身を全部出して、たて笛を机の中に差し入れてガンガンガン!!ってやってたんですけど、周りは「また鳥居がやってるよ」って反応でした。
当時はまだ発達障害への認知度が低くて、「発達の検査受けたほうがいいよ」と言われることがなかったので、「変な人」と思われたままだったと思います。あまり大事に捉えられなかったし、私の他にもパニックになる子はいたので昭和の時代はそこまで気にしていなかったと思う。
私自身も、いろいろなことに対して「大人になったら治るよ」と言われていたので「大人になったら何でも解決するんだ」と思ってて、あまり心配してませんでした。
――周りの大人が個性を受け入れてくれていたのでしょうか。
鳥居:そうなのかな、私の周りがそうだったのかもしれないけど、今みたいに周りに対して過敏ではなかったと思います。
今は「発達障害だからイジらないでください!」とバリアを張ることができると思うんです。それは、心を守ることはできるけど、コミュニケーションを突っぱねちゃう行為でもあるかもしれない。
でもイジられたり、いじめられたりして困ってる人もいるだろうし、“イジり”なのか、いじめなのかという問題もありますよね。でも本当は“イジり”なんてものは存在しないのかもしれないとも思います。難しいですね。
子どもの頃は米が食べられなかった

人と違っても、「治せ」とは言われなかった

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