一方、時代は変わりつつあるとはいえ、日本のアイドルは国内のファンを第一に考えたビジネスです。言語や考え方、生活習慣の違いが全くない市場ですから、韓国のアイドルが配慮する統一規格的な考えよりも個性が重視されます。
Snow Man 『BREAKOUT/君は僕のもの <通常盤>』
そこで渡辺翔太の「ベテルギウス」に戻ると、彼は母国語を歌えるアドバンテージを生かして表現をしていました。ただ音を追うのではなく、文脈に応じて強弱をつける。渡辺翔太なりの解釈というフィルターをかけていたのですね。
ヒュニンカイがビッグデータ的な正解だとしたら、渡辺翔太は個人的な信念を歌に託している。どちらがいい悪いではなく、そもそも出発点が違うので比べようがない。サッカーと野球、どちらが面白いかと言っているようなものです。
アイドルもAIで代用かと話題の時代に、人間臭さを感じた渡辺翔太
そう考えると、今回のコラボでは日韓アイドルそれぞれの長所を再認識できたとも言えます。
ヒュニンカイの歌からは、高確率で合格点をクリアするアーティストを輩出し続ける確固たる育成のテンプレート。個性やキャラよりも、楽曲、ビジュアルを含めたトータルのパッケージを優先させる冷徹さには一定の説得力があります。
一方、そうしたトレンドが隆盛でありながらも、アーティスト自身の独自性を担保しようとする力がまだ働いていることがうかがえた渡辺翔太の歌。可能性、のびしろという点が韓国アイドルとの大きな違いです。
なによりも、渡辺翔太の歌からは人間臭さを感じました。歌詞の刺さるフレーズではそのような表情になり、高い音を出すときには苦しそうな顔をする。それでもギリギリ踏ん張って、軌道修正を試みる冷静さも見せる。一曲の中で様々な表情を楽しめました。
アイドルもAIで代用ができるのではないかと議論されている現状において、とても大切なことを示唆しているのではないでしょうか。
<文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter:
@TakayukiIshigu4