――オーディションに受かり、太シスとして新たに活動を開始。ASAYANでも大々的に取り上げられていた全盛期はどのような心境だったのでしょう。
稲葉「なんかもう……記憶がないところがけっこうあるんですよね。毎日目の前にあることを一生懸命やるしかなかったから。OPDでも歌やダンス、ライブもやっていましたが、太シスの活動はそれだけではなく、初めて経験することも多かったんです。ASAYANは台本がなくて、当日その場で内容を知らされますし(笑)。
それに今では考えられないほどの目まぐるしいスケジューリングでした。仕事が終わった後のメンバーとの挨拶も『また明日!』ではなく『また後で!』くらいの感覚だったくらい」
――寝る時間もないレベルだったのですね。
稲葉「そこはやっていて少し辛かった部分かもしれません。でも、遊ぶ時間が欲しいとかはなかったですよ。活動自体は楽しいし、好きなことができている実感がありました。私は特にライブが一番好きでしたね。お客さんの直接の反応が返ってくることがとても楽しかったし、これは今でも変わっていません。
逆にテレビの収録のお仕事は苦手でした。写真撮影も同様ですが、私はカメラ越しの見えない誰かに向けて笑ったり、表情を作ったりすることは得意ではなかったみたいです」
――他にも今だから言えるつらかったことはありますか?
稲葉「楽曲も見せ方も“可愛らしいアイドル”とは異なっていたためか、好評価をいただく反面、ひどい言葉で批判されることもすごくありました。自分たちは“アイドル”という意識じゃなかったけれど、どうしてもその枠にはめられてしまって。当時は私たちのようなグループを表現する言葉が一般的ではなかったように思います」
――パフォーマングループの走りかもしれませんね。そのカッコよさを体現できたのはメンバー4人の個性があったからこそでしょうか。
稲葉「そうですね。一方でメンバーが4人いる中、当時は比べられることの辛さもありました。私以外の他の3人が民謡歌手、オリンピック選手、外国籍と異色の肩書きや個性を持っている。その中でいうと経験はあるものの、私は何も持っていないのではないかと感じていたんです」
――でも、稲葉さんはまとめ役というかリーダー的存在だったじゃないですか?
稲葉「それ! 稲葉は太シスのリーダーってよく言われるんですけど、別にそういうわけじゃないんです!」
――えっ、そうだったのですか?
稲葉「太シスはリーダー不在のグループなんです。役割分担みたいなものはありましたけどね。私からすれば逆にどうしてそう思われたんだろう?って感じです(笑)」