「生まれてきたのが間違い」染谷将太演じる『べらぼう』な天才絵師、史実に見る栄華と転落の人生!“子役”とのつながりは?
大型連休前半の日曜は本編がお休みだった、大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(NHK総合 毎週日曜よる8時)。5月4日に放送された最新回を、首を長くして待っていたファンも多いかと思います。
前回の「さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい)」 (第16回 4月20日放送)は、平賀源内(安田顕)が何者かの力により切ない形で退場。筆者も「大河『べらぼう』平賀源内ついに退場へ…死に至るまでの史実とは?刃傷沙汰や投獄、事故物件への引っ越しも」にて史実を解説しています。
そんな源内ロスを少々引きずった状態で観た第17回「乱れ咲き往来の桜」。最後に、蔦屋重三郎が見つけた「豊章」という絵師の名前…。江戸文化好きな私としては、これが史実上誰なのか、ピンときました。そして、蔦重(横浜流星)が思い浮かべたのは「唐丸(からまる)」…。
ということで、「豊章」を名乗る絵師とその生涯を、『べらぼう』上の唐丸と照らし合わせつつ、今後の展開を想像してみました!
まず、「豊章」とは誰か?ですが、ずばり“美人画の天才”と称される絵師「喜多川歌麿」です。
歌麿は、幼少期に鳥山石燕という狩野派の町絵師に預けられ、師匠として手ほどきを受けました。その石燕の本名「豊房」から一字もらい、「北川豊章」の名で、明和7年(1770年)に絵入俳書『ちよのはる』に一点の挿絵を描いています。そして、1775年の浄瑠璃本『四十八手恋所訳』の下巻表紙で、商業誌デビューを果たしています。
天明元年(1781年)に蔦重と出会ったころに、名前を本姓の「北川」から「喜多川」に、名前も「歌麿」と名義を改名。黄表紙『身貌大通神略縁起(みなりだいつうじんりゃくえんぎ)』の挿絵が、「喜多川歌麿」の名前の初出とされています。
その後、蔦重の仮宅に住み込み、2人はタッグを組んでたくさんの作品を世に生み出します。代表的なのは、やはり「大首絵(おおくびえ)」という様式の美人画。簡単に言うと、バストアップ(胸から上)の美人画のこと。
体全体ではなくアップにしたアングルで描き、髪の質感や生え際、しっかりとした目元、さらに女性一人一人の個性も描き分けた繊細な美人画は、当時の江戸っ子をたいそう魅了したそう。
現代で言えば、アップで撮られた推しのブロマイドというイメージ。全体像もいいけれど、やはり拡大した方が迫力がありますし、何より顔がよくわかるのはうれしいですよね!
そんな蔦重とともに時の人となった歌麿ですが、生まれや幼少期は不明で、出生地はもちろん、なぜ石燕に預けられたのか経緯もわかりません。生まれた年は亡くなった年から年齢で逆算し、宝暦3年(1753年)が定説とされているのだとか。
『べらぼう』では蔦重が「豊章」の名と絵を見て、唐丸を連想していました。史実を見れば「豊章=喜多川歌麿」で間違いないと思いますが、「喜多川歌麿=唐丸」なのでしょうか。
まず、唐丸についておさらいすると、吉原を火事で逃げ惑う中、蔦重に助けられた少年です。
出会った当時、彼は記憶を失っていたため、過去は誰もわかりませんでした。しかし、突然過去を知るような怪しい男が現れ、店のお金を持ったまま失踪。
そして浪人とともに川に落ちて命を落としたらしい、という噂を耳にした蔦重は、気を落としながらも「どこかで唐丸は生きている」と今も唐丸の生存を信じています。
「豊章」は美人画絵師「喜多川歌麿」デビュー時の名前
予告で見る“火事のシーン”は初回のあの場面?
さて、その上で次回の予告動画を見てみると、染谷将太さん演じる人物が「そもそも生まれてきたのが間違いだったんだ」と言い放ち、生い立ちを語るような展開のよう。染谷さんが「喜多川歌麿」役として出演することは公式サイトでも発表済みなので、蔦重と歌麿(豊章)との出会いが描かれるのは確定でしょう。 ここで気になるのが、火事のようなシーン。これは初回で蔦重が火事の中で唐丸を救った場面を連想させます。失踪の原因となった、過去を知る男をきっかけに失っていた記憶がよみがえった可能性もあり、今の段階では唐丸が歌麿である線は濃厚のようです。
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