活動終了の「嵐」は他グループと何が違うのか?売れなかった頃の辛い記憶も
来春開催するツアーをもって嵐が活動終了することが、5月6日に発表され、日本中に激震が走りました。旧ジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)には数々のスターがいましたが、嵐はなぜ“国民的アイドルグループ”と呼ばれるほど特別な存在となり得たのでしょうか。
その裏には、長い“不遇の時代”を乗り越えてきた、という事実も関係しているようです。旧ジャニーズにも詳しい芸能ウォッチャーの太田サトルさんに解説してもらいました(以下、太田サトルさんの寄稿)。
25年の歴史を持つ嵐ですが、不動の人気を獲得するまでに実は10年近くかかったことを、今では知らない人もいるでしょう。
嵐のデビューは1999年。ハワイ・ホノルル沖のクルーズ船上でのデビュー発表というド派手な会見を行い、デビューシングル『A・RA・SHI』の売り上げは100万枚を突破しました。ところが、CDの売り上げは少しずつ下がり、バラエティも、ゴールデンやプライム帯はSMAPほか先輩グループが活躍を続けていたため、そこに食い込み追い越していくことができませんでした。
この不遇の時代を、後にメンバーはこう振り返っています。櫻井翔は、慶應大学の同級生たちが就職活動を始める中で、「この先自分どうなっちゃうんだろうな…と不安ではありましたよね」(2019、NHK『SONGS』より)。また、2002年に自社の新レーベル「J Storm」に移籍した際も、「あれ、これ…俺ら見込みがないってことなのかなってちょっと思ったりもした」と相葉雅紀は話します(同)。
二宮和也は、ハリウッド映画『硫黄島からの手紙』(2006)のオーディションを受けたのは、「当時はそんなに仕事がなかったので」「何か仕事はないですか?」と事務所に聞いたことがきっかけだった、と振り返っています(2022、TBS『日曜日の初耳学』より)。
その『硫黄島からの手紙』で二宮が高く評価され、松本潤が出演したドラマ『花より男子』(TBS系2005、続編2007)がヒット、さらに櫻井翔が2006年『NEWS ZERO』のキャスターに抜擢されるなど、嵐の大逆襲は、メンバーそれぞれの活躍が同時多発的に発生したことから始まったのです。紅白歌合戦への初出演は2009年と、実にデビュー10年後でした。
「嵐だって(大ブレイクまで)10年かかったんだから」という空気が、後輩グループのファンや事務所あるいはメンバーにももたらされ、「嵐のようにじっくりがんばろう」という思いに繋がった――これが嵐を“特別な存在”にした要因の一つではないでしょうか。