それらはあくまで予告編の印象で、『Already over』の本編では園子温の性加害に真摯に向き合った内容という可能性もある。だが、園子温を支持する側から、解決していない時点でその問題を創作物で表現するということ自体、被害者への二次加害に当たるのではないか。
事実、同映画の企画・制作会社「株式会社カミナリ」は短編ドラマ映画『コロナになりました。』の期間限定で一般公開を報じた2022年9月のプレスリリースにて、「スペシャルサンクス:くるみらサポーター/園子温」、「第1作『シェアハウス33クラブ』は、映画監督の園子温氏の協力のもと……」とも記している。
さらに、2024年2月に公開された『Floating Holidays』でもスペシャルサンクスに「園子温」と記載。その制作に実写版『ゴールデンカムイ』のクレデウスが参加していることも、松崎悠希氏は指摘している。
もちろん、これらは園子温からの意向が直接関わっているわけではなく、映像制作チーム「TEAMカミナリ」の自己判断ではあるのだろう。だが、園子温の性加害疑惑を題材にしたモキュメンタリーを制作すること、さらに変わらずスペシャルサンクスに園子温の名前を載せること自体、やはり非常に大きな問題であると指摘せざるを得ない。

会見後、開設したYouTubeチャンネルにて改めて「主文以外は法的な拘束力ない」と主張した園子温氏
なお、2022年12月公開の映画『もしかして、ヒューヒュー』は、園子温が別名義での脚本参加が「ステルス復帰」のように報道されバッシングを浴びたが、園子温自身から「今年の4月に週刊女性の掲載がなされる以前の2021年12月に撮影されている」「ペンネームは脚本が単独で作成したものではないことと、他の園作品と同様の色がつくことを避けたいから」との反論があった。この言葉を鵜呑みにすれば、確かにステルス復帰は誤った表現であるし、その趣旨での批判は正しくない。
ただし、「性加害の疑いがある人物が関わった映画を、断りなく公開しようとしたこと」は事実。たとえば、2024年2月に準強制性交容疑で逮捕された榊英雄監督による『蜜月』『ハザードランプ』は公開中止の措置が取られており、それほどまでに「性加害者が関わった(疑いのある)作品が上映されること」は大きな問題として議論されなければならないはずだ。
また、不祥事による降板や自粛が「キャンセルカルチャー」として問題となる事例もあるが、こと園子温の性加害疑惑については、それは決して過剰な反応ではない。
被害を訴えた人物は複数おり、その1人の千葉美裸さんは2022年12月に自死している。1人の人間が自ら命を絶った事実はとても重い。その加害者とされる人物が手がけた作品の制作・公開は二次加害の可能性が必ずある。そのことを、関係者は自覚しなければならない。
そのためには、いかに園子温が監督に復帰しようと考えても、やはり「No」を突きつけるしかない。その復帰に関わる人がいてはならないし、関わるべきではない。今回の園子温の会見や、モキュメンタリー『Already Over』の予告編を見て、そう強く思ったのだ。今一度、考えてみてほしい。
<文/ヒナタカ>
ヒナタカ
WEB媒体「All About ニュース」「ねとらぼ」「CINEMAS+」、紙媒体『月刊総務』などで記事を執筆中の映画ライター。Xアカウント:
@HinatakaJeF