
本作が放送される前年に『日曜日の初耳学』(TBS系、2024年11月24日放送回)に出演した横浜は、徹底した役作りと演じる役に対する基本的スタンスをこんなふうに言い表した。「演じるではなく生きる」。これは横浜流星という俳優がいわゆる役に入り込む憑依型の演技者であることを意味しているのか?
俳優としてある役柄を演じていることは事実なのだが、その上で演じるという嘘の状態を限りなく真実味のある(リアルに生きる)状態にまで深めようとする、ある種批評的な視点がある。だから間違っても彼のことを表面的に憑依型などと形容してはいけない。
そんな彼にとって蔦屋重三郎という大役は腕がなる仕事である。大河ドラマ放送スタートからゴールまで完璧な演技プランを実践しようとする中でどんどん蔦重を生きること。現在の横浜が持つ力のすべてが結集された総力戦であることは想像にかたくないのだけれど、それだけに筆者はこの役を生きる横浜がアウトプットする細部にこそ目をこらしてみたくなる。
何せ通年毎週放送があるから、あらゆる場面あらゆるワンショット内に横浜の流麗な演技がはめ込まれる。それらの中でもこれはひとつの転換点だなと思った瞬間がある。重三郎が鱗形屋孫兵衛に決定的に取って変わる第13回の場面。
閑散とした鱗形屋にやって来た重三郎が孫兵衛と対峙する。まだ辛うじて主人である孫兵衛が一段上から重三郎を見下ろす。カメラはハイアングルから重三郎を捉える。きりりとした眉根を相手に向けて静かにお辞儀する。
このハイアングルのワンショットに浮き立つ横浜流星の重厚で切実な存在感。あぁ、この人はこの大役を演じる上での見事な計算をこの場面にどんと置きにきたなという感じ。
基本的に同じスタッフが通年で横浜にカメラを向けるわけだから、横浜流星の演技を捉えるベストなアングルも自ずと選び抜かれる。同場面でのハイアングルに対して第25回では逆にローポジション(ローアングル)が選ばれた名場面がある。
日本橋に新店舗をだす重三郎と夫婦になるてい(橋本愛)が床拭きをする場面。夜の明かりに照らされた重三郎が画面前方にある桶で雑巾の水をしぼる。彼は床拭きするため画面奥へ移動するのだが、据え置かれたローポジションのカメラはじりじり微動して細心の注意を払ってアングルを見定め、調整して横浜流星の演技を丸ごと捉えようベストアングルに位置付ける。
その間、横浜は着物の裾を翻して何度も左脚をチラリと露出する。この細やかで色っぽい動作。大抜擢された大河ドラマ主演俳優の微動と手練れのカメラワークがかち合う瞬間に深い感動を覚えた。
<文/加賀谷健>
加賀谷健
コラムニスト/アジア映画配給・宣伝プロデューサー/クラシック音楽監修
俳優の演技を独自視点で分析する“イケメン・サーチャー”として「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:
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