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「自分の身体が汚らわしく感じた…」5年かけて探し当てた実母から突きつけられた“残酷な事実”。知る権利への想いも<後半>

実母が明かす、乳児院に預けた経緯

インターフォン 一言一句、詳細を覚えているわけではないが、実母は以下のような事実を口にした。 ――なぜ私が生まれたのか? 学生時代の同居人に、生活のため身体を売らされていて、その時にできた子どもだった。同居人には逆らえず、病院に行かせてもらえなかった。気づけば堕ろせる時期は過ぎていた。 ――なぜ私を乳児院に預け、それきりになったのか? 19歳で産んだ当時は、育てる経済力もなく、祖父の家に預けるのも嫌だった。当初は、一時的に施設に預け、その後引き取る可能性もあった。何度か乳児院に面会も行った。ただ、同居人の存在が恐怖で、思わず家を飛び出した。乳児院に行くと、同居人に見つかる可能性があるため、乳児院にも行かないことにした。 ――特別養子縁組に至る前に、引き取る選択肢はなかったのか? 元夫との間に子どもができて、結婚するタイミングだった。相手の親族には隠し子(まるさん)がいると伝えておらず、あなたを引き取ることはできなかった。 ――私に対してどんな感情を抱いていたのか? ずっと忘れていなかった。何年か前にメールが来たのを見ていた。友達にも相談したが、裁判所から会ってはいけないと言われていたため返事をしなかった。償っても償いきれず、申し訳ないと思っている。

「母親ではなく他人だと感じた」

 尋ねた内容に、実母はたどたどしくも答える。長年、自分のルーツを追ってきたまるさんにとって山場となる瞬間だったはずだが、次第に気持ちが冷めていったと漏らす。 「母は質問に答える際、節々で『あなたのためだった』『あなたを想っての選択だった』と口にしました。ただ、私からすれば、すべて自分の身を守るための言い訳に感じられ、話を聞いているうちに気持ちが冷めました。 同居してる人に体を売らされて、私を捨てたのもどうしようもなかったと話していましたが、それ以前にその人と離れられなかったのか。自分だけ家を出たのは無責任なのではないか。そうした疑念が拭いきれませんでした。 出生の理由も想像していたより酷く、自分の身体がすごく汚らわしく感じましたし、パートナーに出自を知られたこともショックでした。これまで自分の出自を追い求めてきましたが、母が体裁を守るように喋るなら、真実を話してもらうより作り話をして欲しかったのが正直な気持ちです。 確かにこの人は、自分を産んだ人間だけど、母親ではなく他人だと感じました。血のつながりはあるけど、それ以上はなく、ただ単に血がつながっているだけ。この人に何も期待もしないし、私のことを理解してもらえない、これから実母と人生を共にすることはないだろうと悟りました」  もちろん、当時の状況や背景を完全にうかがい知ることはできない。しかし少なくとも、まるさんにとって、そこに探し求めていた「母親」の姿はなかった。  血のつながりを持つ「産みの親」との再会は、多くの人がドラマのような感動を期待しがちだ。だが現実は、必ずしもその通りにはならない。いや、むしろ、多くの場合そうはならないのかもしれない。  まるさんは実母を探していることを、養親や里親探しを行う公益社団法人や、近しい境遇の知人に相談していたが、肯定的な反応は少なかったという。それは言い換えれば、同じように親を探し、再会を果たした人々の一定数が、救いを見いだせなかったという事実を、彼らなりに知っていたからだろうか。
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それでも実親と会って良かったと言える理由
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