Entertainment

「タイトルが卑猥」「男性器を笑いものに」ベストセラー覆面作家が語る“批判との向き合い方”と“執筆をつづける理由”

 2017年のヒットした私小説『夫のちんぽが入らない』をはじめ、エッセイ作品など、精力的に書き続けてきたこだまさん。今年1月には、実際に特別支援学校で働いていた経験をもとにした創作小説『けんちゃん』も刊行されました。とはいえ、こだまさんはもともと専業主婦。どうやって書き手としての道を切り開いていったのか――その軌跡をうかがいました。 けんちゃん

書き手としての原点

──改めて、こだまさんの人生における「書くこと」の接点からうかがわせてください。 こだま:書き手としての原点は、小学校高学年くらいから毎晩ノートに書いていた日記です。当時の私の世界が「学校だけ」だったので、クラスメイトの行動を勝手にレポートみたいに延々と。いま思えば、完全に性格の悪い日記でした(笑)。でも、人をじっと観察して、言葉にしておきたいっていう癖はあの頃からありました。 ──日記はいつ頃まで書かれていたんですか? こだま:大学の頃に生活が忙しなくなったのでそこでいったん日記はやめ、小学校教師を辞めた27歳頃からブログで再び文章を書き始めました。最初はほぼ家族のこと。あとは一時期、出会い系で出会った変な男性の話とか、自分がやってきた教員の仕事のことですね。読む人が読めば私だと特定できるくらい、けっこう赤裸々に。当時はネットのリスクなんて全然考えず大放出していましたね。 ──そこから「お題に向けてみんなが投稿する」という仕組みの「ネット大喜利」にもどっぷりハマったそうですね。 こだま:面白さを競うような自信も経験もありませんでした。お笑い番組を見るのは好きだけど、人前で面白いことを言うタイプではなかった。面白そうなことを思いついても発散する場がなくて、それがブログや大喜利でようやく出せるようになった感じです。「誰でも匿名で書き込める」という安心感もあって、「これだ!」と思いました。 ──ブログや大喜利を始めてから、日常の見え方も変わりましたか? こだま:変なことやおかしなことがあると、「これは忘れないようにしよう」と記憶にとどめて、家に帰ってすぐパソコンに向かうようになりました。何もない田舎町だと思っていたけど、「田舎すぎる不便さ」も含めて書けることはいっぱいあったんだとも気づいたんです。仕事を辞めて何もすることがない時期だったので、どこの誰かも知らない人が読んでくれる。それだけで生活が回り始めて、楽しくなっていきました。

文学フリマから『夫のちんぽが入らない』のヒットへ

──そこから、2014年の文学フリマ初参加へとどうつながっていきましたか? こだま:30歳ぐらいから、「文学フリマというものがあるらしい」という情報だけは知っていました。書き手が自分で本を作って売るイベント、くらいの理解で。でも、田舎住みの私にとっては「東京に行く」というだけで大きなハードルで、自分には関係ない世界だろうとも思っていました。  それが40歳手前になって、「気になっていることはやってみたい」と急に思うようになったんです。年齢による焦りもあって、「今動かなきゃ」と。ひとりで参加する勇気がなかったので、ネット大喜利仲間で、面白いブログを書いていた漫画家のたかたけしさん、たかさんと親交のあった作家の爪切男さんと乗代雄介さんの四人で合同誌を作りました。 ──そこで発表したのが『夫のちんぽが入らない』。反響はどうでしたか。 こだま:予想以上でした。ただ、自分の原稿を世に出すこと自体、ものすごく勇気のいることだったなと。タイトルを見てもわかるように、まわりの人に話せないような内容ばかりで、私が一時、夫がいながらも出会い系で男性と会っていたことも書いています。大喜利で知り合った人たちも私の過去は知らない状態だったわけなので、いきなり自分の「汚い部分」をさらけ出すのは本当に怖かったですね。
こだまさん

著者のこだまさん

──結果的には商業出版につながり、大ヒット作になりましたが、その裏側では意外な形での反響もあったとか。 こだま:もともと、女性の書店員さんに電話でエロ本のタイトルを言わせる、というセクハラはあったそうなんです。それが、私の本のタイトルがちょっとヒット商品みたいになってしまったことで、「こだまさんの小説のタイトルって何でしたっけ」と言わせる人が現れてしまった。タイトルのインパクトゆえに、悪用しやすくなってしまった面があったようです。  だけど、書店訪問のときに事情をうかがって謝罪すると、書店員さんは口をそろえて「本が悪いんじゃない。やる人が悪いんだ」と逆に励ましてくださいました。私への気遣いもあったと思うんですが、それでも本当に心強かったです。 ──タイトルそのものへの批判も、多く寄せられたと聞きました。 こだま:批判は「卑猥だ」と同じくらい、「なぜ男性器を笑いものにするのか」「男性器だけをネタにするのは性差別」という男性側の本気の怒りも多かったです。言われてみればもっともだとも思いました。そういう方たちに「『私のマンコに入らない』にしろ」と提案されましたが、それだと作品の内容とズレてしまいます。その「男性器は笑ってよくて、女性器はダメ」というアンバランスさには、私自身も違和感がありました。  原作のまま、このタイトルでいくかどうかはかなり悩みました。タイトルそのものが私の長年の苦しみの元で、「入らない」自分はふつうじゃない、と卑屈になっていき、仕事の悩みも重なり転落していく。タイトル通りなんだけど、内容は真面目。そのギャップがよかったという感想をいただくことが多かったです。最終的には「書店に置いてもらえるかどうか」で判断し、性差別やセクハラの問題に発展する可能性までは想像できていなかったのは反省しています。 ──『夫のちんぽが入らない』後も、『ここは、おしまいの地』(太田出版)などエッセイの連載も綴られています。ただ、その間でうつ病を患った時期もあったと……。 こだま:はっきり「これ」という原因は分からないんです。もともと20代で膠原病と診断され、全身の関節が痛んで朝は動けず、寝たきりになるという状態に。医者からは、「その身体の痛みから精神的なうつ状態になることもある」と言われていました。  それに加えて執筆のプレッシャーも要因かなと。締切が迫っているのに全く書けていなくて、前もってやらない自分を責めてしまう……。そういう生活が続いてストレスが重なっていきました。 ──書くこと自体が辛くなった時期もありましたか。 こだま:ありました。しばらく抗うつ薬を飲んでいて、1〜2年は本当に何もやる気が起きませんでした。それでも、連載をやめたいとは思わなかったんです。辛いなりにも「書くことが生きている意味の一つ」になっていたので、それを手放すことはできませんでした。
次のページ 
主婦と作家の二重生活
1
2
Cxense Recommend widget
あなたにおすすめ