ハワイのお隣さんが体現する、理想的な余白のある生活

そんななか、2025年10月にハワイへ引っ越してきました。ハワイは、日本からだけでなくアメリカ本土からの移住者も多く、「いつかは住んでみたい」と語られることの多い、ある種の“憧れブランド”のような土地です。
正直に言えば、最初は戸惑いもありました。物価は高いし、四季のない環境も「本当にここで暮らせるのかな?」と疑問を感じていました。
でも、この気候と、甘い香りさえ漂ってくるような空気のなかで過ごすうちに、「生きる環境」としては、これ以上ないほど心地いい場所だと実感するようになりました。
そして、何よりも嬉しいのが、ご近所との関係のよさです。
私たちは、タウンハウスという日本でいう長屋のような住まいに暮らしています。両隣ともとても良い方々なのですが、特に右隣に住む70代のアメリカ人ご夫婦は、まさに私が思い描いていた「余白のある生き方」を体現している存在でした。
日中、奥さまは水辺に座ってスケッチをしたり、クリスマスシーズンには家のデコレーションを楽しんだり。
私たちが引っ越してきた日には、小さな鉢に花をいけて「ウェルカムフラワーだから」と手渡してくれました。週末やサンクスギビングには、お孫さんも集まって、家族みんなで賑やかに食卓を囲んでいます。
おふたりは、本当によく水辺に腰を下ろし、ゆっくりお茶を飲んでいます。その姿を見て、「私も、こんなふうに、余白のある生き方をしたいな」ととても羨ましく思いました。
ですが同時に、今の私がそれをしようと思っても、やっぱりできないなと。それで、今の私が必要としている余白のある生き方とはなんだろうと考えてみました。
70代の夫婦の余白のある生き方は、ある意味完成された人生の一枚絵のように見えます。もちろん、外から眺めているだけなので、その内側にどんな思いや葛藤があるのかまではわかりません。
一方で40代の私は、子育ても仕事も同時進行の、まさに編集中の毎日。完成された絵画というよりは、今作っている最中の動画のような日々を送っています。だからこそ「なぜ隣のご夫婦のように静かに微笑んでいられないのか」とふと、疑問をもちました。
11月に日本に一時帰国した際、ハワイに引っ越して1か月ほどだったこともあり、会う人会う人に「ハワイはどう?」と聞かれました。でも、その質問に対して、私はうまく答えられず、言葉を詰まらせてしまったんです。
仕事は充実しているし、気候もいいし、日々は楽しい。もし私ひとりだけだったら、そう答えていたと思います。
でも、子どもたちの学校生活はどうなのか? 夫の今後のキャリアを含めた幸せは? 家計はどうなのか? 日本に残した親の気持ちは? そんなことを総合的に考えたとき、即答はできなかったのです。
そのとき、ふと思いました。
自分自身の幸せの尺度が、単純な合否判定ではなく、いくつかの指標が絡み合い複合的になっているのだと。
「順調です」と答えられても、「幸せ?」や「どう?」という抽象的な質問に答えるのがとても難しくなっている。もちろん、幸せなんです。深く悩んでいるわけでもないんですが、幸せを測るものさしが、ひとつではなくなっている。
だからこそ、隣の70代の夫婦の幸せというものが、最終的に「個人の充足」へと回帰しているように私の目にはうつっていて、とてもシンプルで純度が高いような気がしたんです。